CABIN261の「アジア・クルーズ・ログブック」

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08820 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブック PART 1
( 8) 00/02/20 14:33

2000年 2月 8日ー18日
ぱしふぃっくびいなす
アジア・クルーズ:区間乗船 バンコク(シーラチャ)ーバリ(ベノア)

はじめに:
今回の 海外クルーズは、一人参加になってしまいました!が、大変 有意義な
ものに なりました。
一人で いて 初めて見えてくる物、知った事が 大変多かった様な 気が
します。皆さんも 如何ですか?

2月 7日 プレ乗船記(未だ、船には 乗っていませんから)
晴れ

ところ:成田ビューホテル

前日の 天気予報によると、明日の 午後の関東地方の 予報は 雪!!
なので、大事を取って 成田空港が すぐ傍に 見える、
成田ビューホテルに 前泊です。
夕方の ラッシュで 混み合う、東京駅発 最終の 成田エキスプレスに
乗り込む。
今回は 10日間用の 荷物が ぎっしり!の スーツケース
が かなり 重たい・・・。

ホテルのフロントに 着いたのは、21時を 過ぎていたのですが、
私と 同じように チェック・インを この 時間に する 人が
多いので びっくり。

夕食用の レストランに降りて行くと、クローズの時間が
迫っているのか、
片づけに 入っていたので、メニュー も
ろくに 見ないで、慌てて オーダーを する、

後ろで 何やら賑やかに 盛り上がる歓声が!
ウエイターの 人に 聞いてみると、東南アジアからの
研修生の 団体で、今日は 懇親会、
なのだ という。

初めての 一人東南アジア出発を 前に、
ちょっぴり 緊張していた 私を、彼らの 明るい 歌声は
大いに リラックスさせて くれたのでした!

つづく

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08821 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 2
( 8) 00/02/20 17:17

2月 8日 晴れ

ところ:成田空港第二ターミナル

9:00 搭乗チェック・イン

空港カウンターは、春休みに 入った学生を中心に、
かなりの 人が ごった返している。

チェック・インを 同じ区間乗船のご夫婦と 澄ませて
搭乗ゲートに 向かう。
心配した お天気も、どうやら 日中は 大丈夫のよう!


11:00 JL717 機内

飛行機は 冬空の 澄んだ大気の中を、快適に 飛行中。
台湾上空で 進路を 南西に変え、
インドシナ半島上空に 入る。
鬱蒼としたジャングルが 眼下に 広がり、まさに
「へび」の ように曲がりくねった 河川を 見て、
ひととき 感動!

ようやく タイ平野が 見えて来た時に 機内の 後方で
歓声が 上がる。タイからの 交歓留学生の グループが
帰国の 喜びを 手を 叩いて 校歌? を合唱!!
乗客の 中からも、思わず 笑みが。

16:20 バンコク到着

むっとした暑さの中、私達一行を 乗せた 専用車は
ハイウェイを 一路 宿泊先の シャングリラへ 向かう。
インドシナ色の 真っ赤な 太陽が 高層ビルの 中に 見え隠れして
いる。
ビルの 中々に タイ寺院の 屋根が 夕日を 映して
美しく 輝く。

空港から 約40分、私達を 待っていたのは、チャオプラヤ川に
映る 夕日を 窓ガラス一杯に 受けている、シャングリラでした。

つづく

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08823 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 3
( 8) 00/02/20 20:27

2月 8日

ところ:バンコク・ホテル・シャングリラ
18:00 チェック・イン

日が 今にも 落ちる瞬間、8Fの 部屋の窓から チャオプラヤ川越し
に バンコクの 街並みを 眺める。
ちょうど 夕方の ラッシュ・アワーで、川に掛かるいくつもの橋には、
車、バスの 流れがあり、
川辺では、帰宅する人々を 鈴なりに 乗せた、渡し船が 何艘も 行き交う。
「東洋のベニス」とは よく言ったものだ!
川が まるで 幹線道路のように、人々の 生活を 支えているのです。

成田での 最低気温が、4度から、日が 落ちても 28度!の
バンコクでの 最初の お食事は、伝統舞踊を 鑑賞しながらの、
宮廷料理でした。
前菜、トム・ヤン・クン、カレー、シュリンプの揚げ物、etc.
思った以上に マイルドで、辛さは いくらでも OKの私には
ちょうど よい スタート・デッシュに なりました。

明日、バンコクから 帰国する 方達とは 一日だけの 顔合わせに
なりましたが、皆さんと 「自分が 好きな 船」談義に 花が 咲き、
大変 楽しい 第一日目、になったのでした。

ぱしびいの 入港が、当初の レムチャパンから、市街に近い、
シーラチャに 変更に なったそうです。
この日、カンボジアの アンコールワットのランド・ツアーに参加
の 後、明日は 私達と 一緒に アユタヤ観光!といった ハードな
スケジュールを 難なく こなしている、80歳の ご夫婦が いらして、
パワーの 秘訣を もらったような 気がしました!

その パワーの 源は メイン・ストリートを 所狭し、と 並んでいる
屋台、それに 集まる 人、人、人の 群れ!!なのかも 知れません。

パワフルで、エキサイティングな 街、バンコクの 第一日めは、
熱気の 内に 終了です。

つづく

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08845 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 4
( 8) 00/02/24 21:33

2月 9日
ところ:バンコク・シャングリラ
リバークルーズ乗り場

朝6時半ごろに、ようやく朝日が 差込み、
日ノ出の 遅さに、「ああ、ここも 確かに、冬。」と、実感。

チャオプラヤ川が すぐ眼前に広がるテラスで、朝食。

今日は、ホテル・シャングリラが 昨年 新造船した
クルーザーで、チャオプラヤ川を、3時間 溯って、タイが 誇る
世界遺産、アユタヤに 出発します。
皆さん 船好き、とあって、この リバークルーズは 大好評!

9時に 桟橋を 離れたクルーザーは、バンコクの水上交通の
大動脈の チャオプラヤを、両岸に さまざまな 街の 風景を
通過しながら、ゆっくりと 進む。
途中 いくつの 橋を 見上げたのでしょうか、そして いくつの
寺院が このバンコクに あるのでしょうか、

一時間も 過ぎると、川の 両側には ジャングルが 遠くに 見え、
いよいよ クルージングの 雰囲気も 最高潮に!

昼食は 船内での、タイ料理バイキイングでしたが、さすが ホテル
直営、だけあって、本当に 美味!!
特に 私の お気に入りは、ビーフのレッドカレーでした。
皆さんにも 是非このリバークルーズ、お勧めします。

つづく

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08865 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 5
( 8) 00/03/03 22:50

2月 9日
ところ:タイ王室・夏の離宮バンパイン宮殿

ホテルの 船つき場を 離れること、約4時間、午前中は 肌寒かった 日差し
は、正午を 過ぎると、とたんに 冬の 寒さに 慣れきった私を
容赦なく 照り付ける!

船は 2層で、定員 50名、全長 は 60メートル位だった、と思います。
シャングリラに 隣接する、世界に 名だたる、オリエンタル・バンコクの
リバークルーズ船と 前後して 航行したのも、いい 思い出になりました。

船は、最初の 見所、バンパイン宮殿に 到着。
ここは、歴代タイ王室の 夏の 離宮で、映画「王様 と 私」のモデルに
なった、ラマ4世が こよなく愛した 離宮でもあります。

映画のように、西洋から 家庭教師を 呼び寄せるだけあって、近代的な
物、目新しい物を 総て 受け入れた 王の し好が 随所に 見ることが出来ます!

タイ伝統の 建築様式は 全く無く!、西洋風建物あり、中国式お屋敷あり、と
ある中で、目を 引いたのは、純中国様式の館に、何と エレベーターを
作らせた事です! その 発想の 柔軟性と いったら!!

その反動?からか、子息の ラマ5世は、父君の 銅像を、純タイ式寺院の
中に 収めた、わけが 解るような??


最近のロードショウの映画、「アンナと王様」は、あの ユル・ブリンナー
の 名作の リバイバルでもありますが、タイ王室が、国民に こよなく敬愛
されている 源になった、王の 開放的な 性格が 少しでも
解る ような 気が します。

つづく

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08866 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 6
( 8) 00/03/04 01:12

2月 9日
ところ:バンコク郊外 世界遺産アユタヤ

気温: 34度!ですが、湿気が 思った程ではないので、
CABIN261は 元気です。


私達を 乗せたバスは、今日の 最大の ポイント
世界遺産の アユタヤに 到着。
今の バンコクに 都が移されるまで、
隣国ビルマに 滅ぼされるまで、
の 約 400年の間 栄華を 誇っていた 古都なのですが、
現在は 土台の レンガが むき出しになっている
荒廃しきった寺院の跡が
返って その 建築様式の 素晴らしさを 証明している、
といった 皮肉が 余計に 私達の 旅愁を 誘うのかも 知れません。

その傍らで 修行僧が 黄金色の 袈裟を 左肩に 掛けて
黙々と 歩いている 姿に、
今も 昔も 信仰に 対する タイの 人々の 情熱は 変わっていない事に
しばし、感動します。

夕暮れが 近くなって、
ビルマ軍に 徹底的に 破壊し尽された、
ワット・プラ・マハタートに 着いてみると、
あちこちに 黒く焼けこげた レンガの 跡が 生々しい:


総金箔の 寺院から 金だけを 持ち帰る、最も手っ取り早い 方法が、
放火、 という 手荒い やり方で 焼き尽くされた 跡に 残った
数体の 仏像は、ことごとく その 頭部が 切り落されている。

体から 離れた 頭部は、
ワット・プラ・モンコン・ポピットに 安置されていた。

お寺の 入り口に お供えする 蓮の 花が 置いてあったので、
「いくらですか?。」 と聞くと、
「志で いい。」と、目で 教えてくれた
受付の おばあさんに、思わず はっと した。

素朴な、「信仰」の 原点。
お賽銭すら、 「自分の 寸志」ではなく、「世間の相場」
で 済ませている 私達、って??
と 思わずには いられませんでした。

そして 隣に いた おばあさんが、熱心に膝まづき、
お願い事をする 姿は、
アユタヤが 単に 昔日の 遺跡、ではなく、
今の 人達に とって 大切な 信仰の より所なのだ、
と いう 事を 思い知らされたのでした。

ややも すると やじ馬的 視点で
現地に 入る観光客も、
現地の 人達の 精神的聖域を
充分に 考えて 訪れなくては いけませんね。

つづく

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08869 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズログブックPART 7
( 8) 00/03/04 22:28

2月 9日
ところ: バンコク・シーラチャ港

灼熱の 太陽が ようやく その一日を 終わらせよう、としている、
夕方 5時頃、
ジャングル が ひたすら続く タイ平野に、
夕日が 何も遮られる事なく
地平線に 沈んでいく 光景に、皆さん 暫し 言葉がない!


まさに「インドシナの夕暮れ」、映画の ワン・シーンを 見ているかの
よう。

バスは バンコク郊外の 国道を ひたすら 船が 待つ シーラチャに向かう。

のんびりとした 田園が 広がり、牛で 水田を耕す 農夫、
その脇で群れを なす、子牛、あひる、鶏・・・。
道路に 面した バス停留所では、帰宅途中の 子ども達が いつ来るとも
わからない? といった 笑顔で 無邪気に 話を している。

道路で すれ違う 車は 殆どが 窓全開!で 走る、
エア・コンに 慣れた私達よりも、風を 受けて 走る 彼らの 方が
実に 快適そう!!

30年位 昔、日本も そうだったのかもしれない、風景を 見ていると、
何だか こちらも 幸せな 気持ちに なってくる。


アユタヤを 出発すること、2時間、
バスは 夜の 賑わいの 明りが ともり出した、シーラチャの 中心街を
通り抜ける。
途中 皆さんの 度肝を 抜いたのは、東京ドーム程の 広大な 敷地に
広がる、屋台の 出現!!
タイの 家庭では 食事は 殆ど 外で 取るのが 一般的で、屋台は
現地の 人達に とって、自分の 家の 台所代わり、との
ガイドさんの 説明に、皆さん
「!!!。」

やがて 港の ゲートを 通り、倉庫が 立ち並ぶ 港独特の 景色が
続いた 後、
500メートルは あったでしょう 桟橋の 向こうに
なつかしい 船影が!!

やっと、追いついた!!
「クルーズの 我が家」の ぱしふぃっくびいなすが、見えてきました。

つづく

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08874 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 8
( 8) 00/03/05 12:14

2月 9日
ところ:ぱしふいっくびいなす エントランス

ギャングウェイには、キャプテン、機関長、GM
の 三役を はじめ、C/O、2/Oの 方 皆さんで お出迎え
でした。

「お待ちしていましたよ!。」と 声を 掛けられると、
本当に 家族の ように ホッ とします。

フロントで チェック・インを 済ませて 中を 見渡すと、
フル・クルーズで もう 10日以上 乗船の 人達が 日常の 生活の
延長、として ゆったり 過ごしていらっしゃる 空気が
伝わってきます。

成田から ご一緒だった ご夫婦は
今回のクルーズが初めてだったのですが、僭越ながら
私も 初めての クルーズが 海外だった事、
自分の ぺースで 毎日の 生活が 出来る事、
お食事、イベント、服装のコード、etc.を お話しました。

ある 少し、のルールさえ、心得ていれば 大丈夫!
と いった所でしょうか??

どうか この ご夫婦が クルーズを 楽しんで下さいますように!!
まるで、身内の ように 思ってしまいました。

22時、 パシフィックびいなす は
静まり返る シーラチャ港を 出港、
次の 寄港地、マレーシア・ボルネオ島の クチン
に 向かいます。

つづく

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08883 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 9
( 8) 00/03/06 21:46

2月 10ー11日
終日航海日

これから クチンまでの 2日間は、タイ湾を 南下、
南シナ海を ボルネオ島に向けて 航海します。
途中、これ、といった島も 見えず ブルーグレー色の
海が 続きます。

船内新聞と 全旅程表を 見てみると、
今日は 乗船2日目で、早くも マスカレードが 開催されます!
荷ほどきも ほどほどに、お部屋で 入念な? 衣装の チェックに
入ります。
あ、それと ブリッジに 行かなくては!!
今回こそ イルカが 見れるでしょうか?

11:00 10F ブリッジ

毎朝、8時には キャプテンの アナウンスが、
お昼には 3/Oの 航海情報が お部屋の スピーカー
から 聞こえてきます。

キャプテンと 3/Oが ワッチ中、
3/Oとは 約1年振りに 会いました、
彼は あの「香港返還チーム」の お一人で、私達の 命の恩人!
でもあります。

キャプテンの お話では、南シナ海は あまりイルカが いないそうす。
バリ付近の インド洋あたりになると、クジラもいるそうなので、
私もいっその事、晴海まで乗船延長しようかな?と思ってしまいました。

インド洋は やはり 美しい海のようで、キャプテンもしきりに
お薦めの ようでした。

インド洋の 一部、である アラビア海に 今度は 是非トライ
してみたい。

おそい 昼食をいただいた後、デッキに でると、
冬、とはいえ さすがに 日差しが 強烈です!
船内を ざっ と 一周するだけで、汗が 吹き出してくる有り様!
プールデッキにも行きましたが、1時間も いれば 真っ赤になって
しまいそうです!

皆さん キャビンに いらっしゃるのか、船内は大変 静かです。

今回の 乗客の 殆どが フル・クルーズ、しかも リピーター
の 方が 8割位で 非常に 落ち着いた 雰囲気。

昨年の 就航一周年パーティーで 見掛けた方も
いらっしゃいました。
一人で 歩いていても、「こんにちは。」と 声を 掛け合う事が
出来る 船旅は 本当に 嬉しい。

イベントも 多すぎず 少なすぎず、ちょうどいい 時間割。
私は、何といっても、バリ舞踏教室 と、
インドネシア滞在が 長かった、GM主催の インドネシア語講座に
出てみたい!!
あ、あと 「アジアの世界遺産」の 講義も・・・。

今回の クルーズの テーマでもある、アジアの文化に
興味津々なのでした。

さあ、イベントが 決まったら、
今夜の マスカレードの 準備です、
ドレスは どれに しましょうか??


つづく

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08948 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 10
( 8) 00/03/16 20:20

2月 10日
18:00 7Fプロムナード

いよいよ、待ちに待った!マスカレードが
始まります。

乗船前に、すでにテーマを 決めていた 私、
題して、 「謎の アラビアン・ナイト」、
今クルーズ の 寄港地の エキゾチズム に 合わせ、
オリエンタル・ターコイズ・ブルー の ロングドレスを
新調しました。
共布で すっぽり 顔を 覆い、サングラスを 掛けて
(よく アラブの女性が 目だけを 出す、あのスタイル)
いそいそ、7Fの プロムナードへ・・・


な、なんと、そこには 私の 想像を 遥かに 絶してしまっている
皆さんが!!

昼間は、「ごきげんよう。」と いった ご挨拶が 御似合いの、
上品な、紳士、奥様達の 姿は 何処?? といった!
かぶり物の オン・パレードに きょとん? と している 私に、

「ちょっと、写真撮って下さいます?。」と 御上品な 声が、
あ、これは 昼間 一緒に お食事した、Mさん、と 判明しました・・・

よくぞここまで!! と言った方が 大勢で、どう 実況中継していいのか
わかりません、

(写真を お見せ出来ないのが とっても 残念です)

お客様に 負けじ、とクルーも・・・ こ、これは すごいことに
なってきました。

「今までの 中で 最高の 盛り上がりなのでは!。」と
ある ソーシャルオフィサーが 感心されていただけの 事はあります、


と、何やら、エレベーターの 方が 騒がしくなってきました、
な、なんと、キャプテン「おとひめ様」が、機関長「浦島太郎」に
手を 引かれて 登場!!なのでした!
真っ白に お化粧し、平安朝の 衣を まとった、その姿は、!!!???

(昼間の ブリッジでの 寡黙な キャプテンは・・・)

皆さんから 歓声が 上がる中、静々と みんなの 記念撮影の 輪の中に
入っていかれたのでした・・・

キャプテン、というのは、いかなる時にでも、お客様の 事を
考えて いらっしゃるのですね!

ちなみに その 後の ディナーは、マスカレーの 衣装で 皆さん
召し上がったのでした。


つづく

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08981 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 11
( 8) 00/03/20 00:10

ある 航海日から:

朝食は、軽めに 取った後、
11F の オブザベーション・ラウンジで、
モーニング・コーヒーを いただきます。
ここは 本当に 穴場で、マケドニア人のクルーを 捕まえては、
英会話の 練習相手に なってもらっていました。
(彼女からは、地中海の 美しさを 教えてもらいました)

11:00
メイン・ラウンジで、アジアの世界遺産を巡る講座に 出席、
建築学上から 見た、ボロブドール の 意義は、大変 興味深いもの
が あります。

昼食は、暑い外気を 考慮してか、口当たりのいい物が 出ていたので、
大変 助かりました、ある時は、飲茶風の 物も ありました。

14:00ー15:00
ブリッジ: 島影一つない、南シナ海 を 見ながら、これからの 航路の
説明を キャプテンから 受けますが
マレーシア、インドネシア間
を 南下するにつれ、海賊が 出没する!? と 聞いて、
驚いている 私に、
「この 海域は、いつ 出ても おかしくない所なんです。」と
怖がらせる オフィサーが・・・。

ですが、
「客船が 襲われた事は ないですから!。」 と、いうことでした。

16:00ー17:00
アフタヌーン・ティーでは、
おいしいトロピカル・フレッシュ・ジュースが だされていました。
それで 喉の渇きが 収まったので、
夕食までの、少し しのぎやすくなった時間帯を、
8Fの ボート・デッキで 過ごします。
カメラを 持ちながら 歩いていると、必ず この時間、ウォーキング
を している 人に 出会います:

今回の クルーズでは、
アロマ・テラピー、フット・マッサージ、ヨガ、と
リラクゼーション方面での プログラムが 充実しています、
ほどよい 運動の 後に これらの プログラム を 試してみるのも
いいかも 知れません!

19:00 夕食

今日は クルーズ中に 知り合ったご夫婦の 2組が
船上で 結婚記念日を 迎えられたのですが、
その テーブルに ご招待していただきました。
初めて セレブレイト・ケーキを 頂きましたが、
本当に 美味!
Sさん ご夫妻、Yさんご夫妻、本当に 有り難うございました。

23:00 ダンス
メイン・ラウンジ では、ダンスの達人!の 機関長をはじめとした、
オフィサーの 方達も 多数参加 されて、ダンス の 基本を
教わります。
機関部の オフィサーが 一番 上手でした、さすが 上司が 達人
だけ あります!
通信長も なかなかの 腕前の ようです。
私は C/Oに お相手してもらいましたが、何度も 靴を
踏みつけてしまい、
あの 白い靴が 黒くなったのでは ないか??と ヒヤヒヤ!!

冷汗と 本物の 汗!を かいた後は、夜食が 本当に おいしい!

ダンスの 後の 夜食が 毎日の 日課? に なってしまいそうです。

つづく

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08986 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 12
( 8) 00/03/20 19:06

2月 12日
8:00 マレーシア・クチン港 入港

マレーシア(ボルネオ島)の 州都、クチンに
今日は 上陸します。

南シナ海に 流れるサラワク川が 街の中心を 流れる
クチンは、ジャングルの 中に 整然と 作られた、都市、といった感じ。

バンコクが 騒然とした賑わいの中に あるのとは、正反対の、
中国系マレー人を 中心に街作りが されているだけあって、
ゴミ 一つ 落ちていない 通りが 印象的です。

入港が 近づいた 岸壁には、地元の テレビ局のクルーの姿も 見えます。

喫水は 大丈夫だったのでしょうか、川港である クチンの 水深は
そんなに 浅くはなさそうでしたから、割と 楽な 着岸だったのでは
>キャプテン?


8:45 マングローブ・クルーズ出発

今日のハイライトのリバークルーズに 出かけます。
午前中は 涼しいのですが、10時頃を過ぎた途端に
暑くなってくるので、ミネラル・ウォーターと、帽子は 必携品です!

バスで 30分位 ジャングルを 切り開いて 作られた畑の中を
走ると、まもなく 船着き場に 到着。
川の 両岸を 見渡しても、橋が ない!
市の 方針で、川には 橋梁を掛けていない。
人々に とっては 昔ながらの 渡し船が 大切な 交通手段 なのだそうだ。

3組の グループに別れ、私は 最後の ボートに 乗り込む。
両岸には ビッシリと、マングローブが 生い茂る、
サラワク川の 支流を、 真っ青の 青空の 下、ボートは 走る、
と、スピードが 落ちてきて、今にも 止まりそう・・・
心配そうな 運転手が 後方の エンジン担当者と 何やら 相談中・・・

どうも エンジンの 馬力が 思うようにいかず、
ボートは ついに 止まってしまった。
同乗の 人達は、一瞬 動揺された 感じ・・・
でも さすが 皆さん 船好き!とあって、
「このまま 漂流して 海まで でれば、ぱしびいに 曳航されるんじゃないの??」
と、明るい 声が 飛んできて、大爆笑!!

じりじりと 日差しが 強くなる中、
弱々しい エンジン音を ようやく 響かせて、ボートは
最初の 訪問地の マレー原住民が 住む、漁村を 目指す。

うっそうと 広がる マングローブ、眼前に そびえ立つ ニウ山
は、 ボルネオらしい 風景だ!

しばらくすると、赤土色に 川の色が 変わった、と思うと、
向こうに 青い 海が、
ちょうどそこは、川水と 南シナ海が 交差する ところだった、
ボートは 潮の 流れに 対抗して、精一杯の スピードを 上げる。

2時間は 走ったまま、ふと 手のひらを 見ると もう 日焼けで
赤くなってしまいました!

何やら 遠くに 民家が 見えてきました、
どうやら 最初の 訪問地、マレー人の 漁村に 到着の ようでした。

つづく

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09020 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 13
( 8) 00/03/26 21:33

2月 12日

場所:サラワク川 支流

川の マング・ローブを切り開いて作られた、小さな漁村の
船付場(といっても、ハシゴだけ)から、一人一人、下船。

川沿いに 民家が かわいらしく並ぶ一本道
(メイン・ストリート!、幅 50センチ位)
を、私達が 一列になって歩くと、村人が 珍しそうに
家の中から こちらを 見ていて、好奇心旺盛な 子供たちが
沢山 出てくる。


船内での インドネシア語講座で 覚えたばかりの、
「スラマ・パギ。!」(おはようございます)
と、話しかけると、恥ずかしそうに、
「・・・スラマ・パギ・・。」
と、蚊の なくような 小さい 声で、 でも 返事が あった!!

ボルネオでは、マレーシアでも、インドネシア語は
充分 通じます、
との、現地滞在が 長かった、 GMの アドバイス通りでした。

行き止まりにある、学校までの 一本道を どんどん歩いていく内、
しまいには 村人の 殆どが 私達を 見物!?
子供たちが ずっと 私達を 追いかけてくるので、
その都度 立ち止って 振り向くと、
今度は 向こうが 恥ずかしがって、 少し 後戻り・・・


済んだ 黒い瞳が 大変奇麗!!
周囲を ジャングルに 囲まれ、遊び道具は 全部 そこで 揃います。

学校では 窓から 教室の 様子が 解るようになっていました。
公用語の英語で 授業が 行われていたようで、
自己紹介の 作文、の 時限が ちょうど 終わって、
お昼を 食べに 皆が 家に帰った ところでした。
と、各 家々で 美味しそうな 匂いが!

私達の 昼食は、現地の ローカル・シーフード・レストラン
だ、そうです。

つづく

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09070 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 14
( 8) 00/04/03 00:03

2月 12日

クチン郊外
場所:ローカル・シーフード・レストラン


漁村を 出発した後、途中 炭焼き小屋の 見学をしてから、
私達を 乗せた ボートは、精一杯の スピードを出して走る、
そして、
2時間後、レストランに 到着、
そこは 南シナ海に 面した、地元の 人々に 人気の
海鮮中国料理の お店です。

今までの 船の OPでの 御食事は その土地での 一流店が
多かったのですが、今回の 様に 素朴な レストランも、
風情が あって、よかった、と思います。

ガイドの 方から、よくレストランには、
クチン(マレー語で 猫)が 出没?するのですが、
エサは 周りの 人から 充分 与えられているので、
近づいてきても、御食事の じゃまは しないので
安心して下さい、との 事でした???


近所から来た親子連れ、仕事途中の 労働者、
遅い御昼ご飯の 主婦、といった、普段着の 人達の 昼食の場所 、と
いった感じです。

ボルネオでは、中国系マレー人が 多く住んでいるので、
マレー料理、とは別に 日本人の 口に合う 中国料理が
沢山ありました。

野菜の いため物、バンバンジー、魚の衣あんかけ、エビ、スープ、
中でも、ワタリガニの トウチ蒸しは、日本の物よりも 味が 濃く、
皆さんに 人気でした。
あ、名物の ナシゴレン(焼き飯)も、美味しい!
食後の 飲み物に 名物の ココナッツ・ジューズを オーダーした
のですが、売り切れ!とのこと、これが 唯一の 心残りでした。
(後の インドネシアでも そうでしたから!)
デザートに 出たフルーツも、船の中で いただく物とは、
違って、味が 濃くて、本当に 美味しい。


ここは テラス・レストランなので、三方が 海に囲まれ、
遠浅の 赤土色の 海が 果てしなく続いている、と思えば、
後方が ジャングル、といった、ボルネオ の 素朴な 風景を 堪能しました。

クチン名物の 猫達も、今は お昼寝の時間なのでしょうか、
一匹も いません・・・

つづく

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09221 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブック・PART 15
( 8) 00/05/28 23:26

2月 13日

9:30 マレーシア・クチン 出港
次港 インドネシア・セマラン

朝の 内は まだ 涼しい クチン を 静か?に出航するはずの ぱしびいでした
が、ちょうど 日曜日、とあって、地元の 皆さんの お見送りを 受けて
ボート・デッキでの セイル・アウェイでは、賑やかな ライン・ダンス!
が 始まりました。

皆さん、昨日の 炎天下での OPツアーの 疲れも 見せず、元気に
ダンス、ダンス、ダンス、でした。

岸壁を 離れた 船は、赤茶色の サラワク川を、南シナ海に 向けて
北上 しています。

両岸には ジャングルと 青空が 果てしなく 続いています、
と、右舷に どこからともなく 現れた 小さな漁船 でしょうか、
ぱしびいを 追い越す事もなく、まるで タグの ように ずっと 後を
追いかけてくるので、こちらから 手を 振ると、 船の 持ち主らしい
お父さんが 手を 振り返してくれました。
傍らには 子どもに 何やら 説明を している お母さんが、
にこにこして こちらを 見ているので、
思わず、
「セラマ・ティンガル (お元気で!)」と 叫ぶと、聞こえたのでしょう
か、大きく うなづいてくれました・・・

ぱしびいは 段々スピードを上げ、南シナ海に 大きく 広がる 河口を
目差します。



18:00 キャプテンズ・ハーフウェイ・パーティー
ドレス・コード: フォーマル

クルーズも 1月 27日、晴海を出航してから、早くも 18日目に
差し掛かり、全行程の 半分、といった ところで
キャプテン 主催の カクテル・パーティーが エントランスで 始まり
ました。
途中から 乗船の私も、フル・クルーズの 方達と 一緒に 記念撮影、
と なりました。
私は C/Oの 隣に 並びましたが、白のタキシードが とても よく
お似合いです。
男性は タキシード、女性も ほぼ 全員が カクテルロングドレス の
お召し物で さすが 華やかです。

いかにも 船上! といった 華やかながらも、ゆったり と した 雰囲気は
陸上では 決して 味わえない 独特の 物が ありますね、
これは 何回 体験しても いい ものです!

お酒を 普段 あまり 口にしない 私も、今回は 口当たりの いい
カクテルを いただいて ご機嫌でした。



今夜半、いよいよ 赤道を 通過します。

CABIN261

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09227 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 16
( 8) 00/05/30 23:23

2月 14 日 快晴

終日 航海日:南シナ海を インドネシア・ジャワ島に 向けて 航海中


朝、朝食を 済ませてから、真っ先に 向かったのは、ブリッジでした。

「お待ちしていましたよ。」と、キャプテン、
私が、船で 初めて 赤道を 通過する事をお話したのを、 覚えていて下さった!

2000年 2月 14日 午前 1時 3 分、ぱしびい は確かに 赤道を
通過していました。
偶然か、故意?にか、今日は バレンタイン・デーと なったのですが、
この 赤道通過は 後に 乗客全員に プレゼントされた チョコレートと 共に、
私にとって、 20世紀に 忘れる事が 出来ない 記念すべき、
2月 14日 に なったのでした。

船からの 赤道通過証明書が 後に 各キャビンに キャプテンの サイン入りで
届きました。


赤道祭が ないのが、非常に 残念!
私が 下船した 後 、バリ島ーセブ島 間で 、執り行われるのだ、そうですね、
総料理長の、華麗?な 扮装が あるに 違いありません!


冬の 南シナ海は、3年前の 6月に 初めて 見た 時とは 違って、
少し ブルー色が 薄いようですね、照りつける 太陽でけでは 解らない、
この 海の 色が 唯一 季節が 冬、ということを
知らせてくれているようでした。
他船の 船影も なく、島影も なく、船は ただ ひたすらに ジャワ島を
目差します。

15日は、いよいよ 二つ目の 世界遺産、ボロブドゥールが 待っています。

つづく

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09228 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 17
( 8) 00/06/01 23:56

2 月 15日 快晴

8:00 インドネシア・ジャワ島
セマラン・タンジュンマス港 入港

まだ 朝 8時だと いうのに、着岸が近づいた 8Fボート・デッキには
容赦なく 太陽が じりじりと 照り付けていて、
ああ、赤道直下に 来たのだ、という 実感が 沸いてくる。

ジャワ島の 南シナ海側 最大の 貿易港 セマラン、 ここは 又
インドネシアの 世界遺産 ボロブドゥールの 海の 玄関に 当たります。
ここから 約 2時間、バスに 乗って 世界遺産に 到着の 予定。

着岸が 迫った 岸壁には、マレーシアからの 定期フェリーらしい 一隻が
先に 入港していて、その 船と ぱしびい を 目的?に 開かれた バザール
が 開かれ、地元の 人々で ごった 返していた。

ベールを 頭から スッポリ被った 女性が 何やら お弁当らしき 物を
売っている傍らで、おみやげ物を かかえた 男性、はては
岸壁に シートを 広げて 船見物を し始める 家族連れ・・・

こんな 所に ヒービング・ラインを 投げ込む 部員の方は 何かあったら
大変、と 見物人を 遠ざけるように
ライン・マン?とおぼしき 二人連れに 大声で 何やら 言っているのです
が、受け取る 方は いたって のんびり!
「無事、停泊できるのかな?。」といった 雰囲気が デッキにも 伝わって
きます。
頭上に ホーサーが 直撃しても?仕方がない 岸壁ぎりぎりに 二人が
立っています、が
でも そこは ライン・マンである、いつのまにか、3本の ホーサーが
見事に 渡され、ウイングには 満足げな キャプテンの 姿が ありました。

「大変な 所に 来てしまった!。」というのが 第一印象、
ギャング・ウェイが 渡されるのを 今か々と 待っている お土産売り
が、オフィサーを 取り囲んでいます!

船尾付近には、観光バスに 混じって 何とパトカーが 到着していました。

エキサイティングな ボロブドゥール観光は・・・
そうです! 地元 パトカーの 先導で 出発!となったのでした。

つづく

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09373 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 18
( 8) 00/07/09 20:18

2月 15 日
インドネシア・セマラン(ジャワ島)

パトカーに先導された、私達を乗せたバスは、無事タンジュンマス港を
出発しましたが、港内で 働く人達が慣れた様子で バスを
見送ってくれる。
パトカー と バス=外国人、といった?ところなのでしょうか?
「今日は、日本人だ・・。」と 話しているようでした。

日差しは 相変わらず 強いのですが、冷房が 聞いた車内は 快適そのもの!
ジャングルの 中を 整備された 道路を 時間通りに
バスは 走っていきます。
バナナ、やしの 木が あちこちにみられますが、普通の 家の 庭に
バナナの 木が るのが、いかにも 熱帯地方らしい!


ちょうど、往きの 半分、1時間位走った所で、お土産物屋を 兼ねた
コーヒーショップで 休憩、となりました。
ここは、標高が 1000メートル前後あります。
ジャワ島は平野の多い スマトラ島とは 違って、島の 殆どが 高原状態で
しかも島の 中央には、3000メートル級の 山々が 連なる
日本でいうと長野のような 所です。 その 高地の快適さを求めて
首都の ジャカルタ、 古都ジョグ・ジャカルタが 作られたのでしょう、
ふいてくる風が 爽やかです。
こちらで いただいた ジャワ・コーヒーは おいしかったですよ!


つづく

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09381 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 19
( 8) 00/07/18 00:51

2月 15日
インドネシア・ボロブドゥール(ジャワ島)寺院公園入口

お昼近くに、ボロブドゥール寺院記念公園の入り口に到着、
ここで、車窓観光の グループと 一緒に 入口前にある レストランで
昼食。
ですが、予想以上に おみやげ物屋さんの 人数が多く、現地ガイドと
ツアーコーディネーターの 方達が 心配そうに 彼らの様子を見ている。

テラス風の レストランで、インドネシア料理のバイキングを いただく。
サテ(インドネシア風焼き鳥)や、ナシゴレン、サラダ、スープ、
日本人の 口に合う物が 多かった、辛みが なく、スパイス党の 私には
少し 物足りない感じ・・・

庭では、現地人バンドの生演奏が始まり、雰囲気が 出てきたが、同時に
50人!はいたであろう お土産物屋さん達が レストランの 柵を のり越えて
入ってこないように、 警備員が 必死に 止めていてくれたのですが、
ちょうど 食後の 飲み物が 出てきた頃に どーっと 押し寄せてきました!

各テーブルを、5、6人の お土産物屋さんが 取り囲み、食事どころでは
なくなってきました、

「これが うわさに聞いていた、お・み・や・げ・屋さんね・・・」と
傍目で 見ていた私、日本人の 一番よくない態度、それは
イエス、ノーを はっきり示さない ことだ!
と 現地ガイドの方に 再三言われていたので、目線をきっ!とし、
ひたすら 拒否したら、やはり 彼らも 人間なのだ、私には 近づいて
きません、が、
隣の 席に座っていた 男性は、 5人の 男達に 人形、扇子、バッグ・・・
を 目の前に山積みされています!
結局 一通り買った 様子・・・

レストランが 私達日本人だけ、と知った彼らが 全員中に入ってきて、
すごい 騒ぎになってきてしまいました!
「早く バスに 戻って下さい!。」と、コーディネーターの 誘導?で
ようやく バスに 戻る事が 出来ました。
私の 隣の 座席の ナースは??
あ、ようやく バスに たどり着いた 様子、
「うわさには 聞いていたけど、すごいですね。」と 二人で顔を 見合わせました。

当初、公園入り口から 徒歩で 遺跡まで 行く予定を 急きょ
変更、車窓観光の 方達と 一緒に 入り口まで バスで 移動、となりました。

いやはや、とにかく 寺院の遺跡に 到着するのも 一騒動ですね、
それにしても、インドネシア人の パワーには、仏教国 タイとは 違う
エネルギッシュさが 満ちあふれています。

つづく

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09398 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 20
( 8) 00/07/19 01:37

2月 15日 
インドネシア・ボロブドゥール寺院公園

バスは、寺院が 眼前に 見える 階段前に 横づけに 停車した。

思った以上に 整然と整備されていて、以外な 感じがしました。
タイ・アユタヤが、当時の 面影をなるべく残す 形で 保存されているとは
対照的でした。
やしの木が 周囲に茂る 入り口に続く階段を 登ると、
黒い石造りの 寺院が そびえ立っている。
「思ったより 勾配が ないのかしら・・?」と 思っていた 私は、
入り口で カメラの シャッターを 切りながら、現地ガイドの 方の 後を
真っ先に ついて行った。

遠くで眺めた 時の 「黒い岩の塊」といった第一印象とは 逆に、
その 壁画の緻密さを 見るにつけ、感動せずには いられませんでした。:

円と 正方形を 使った、独特の 建築様式も、この ボロブドゥール
が、傑作、と言われている 所以でも あります。


紀元8世紀、ちょうど 日本では 奈良の 正倉院が 建造されたのと 同じ頃、
遠く離れた ジャワ島で、シャイレンドラ王朝の 国王が、
大仏教寺院をこんな ジャングルの 中に 作っていた、と思うと、
国王の 信仰心の あつさに 感動が 沸いてきます。

人間が 大建造物を 建立する 大きな 2つの 理由、それは、

自分の 権力の絶大さを 世の中に 誇示すること、
もう一つは、 信仰心の 誇示(これも 権力?)、だと 思うのですが、
このような 熱帯地方のジャングルに、一体 何処から これだけの 岩石を
切り出してきたのでしょう?

それが エジプトの ピラミッドのように、自分の 墳墓(最近では、ナイル川の
水位測定の 為?という 説も あるようですが)
ではなく、純粋な 信仰心から 発生する エネルギー、 だと すれば、
その 情熱に、 並々ならぬ パワー を 感じ取る事が 出来ました。

それだけ 当時の 人々にとって、宗教が、生きる 源だったのですね!!
現代の 人間には、 それだけの エネルギーを 費やしてもいい!と
いった もの が あるのかどうか・・・


何といっても このような 遺跡を見て 感動するのは、当時 これを
建立した 人と 同じ 場所に 立って、同じ 景色?を 見ている、
という事なのだと 思います。

寺院の 頂上に 立って 周りを見渡すと、一面のんびりとした、
ジャワの ジャングルの 緑が 360度 広がっています。

時間が 止まった感じ、というのは、 このような 事をいうのでしょう、
恐らく ここは 100年経っても、今と同じ 景色が ある・・・

地球の 中に、このような 場所が いくつか 残ってほしいものですね。

つづく

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09405 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 21
( 8) 00/07/19 23:51

2月 15日
インドネシア・ボロブドゥール寺院公園ーセマラン・タンジュンマス港

約 1時間の 自由時間の 後、三々五々に 戻ってきた私達を
乗せた バスは、スコールが 近づいている 空の 下を 出発した。

道路の 両側は、青々しい 田んぼが 延々と 続いていて、下校途中の
小学生が 嬉々とした 目で、私達を 見送ってくれます。
彼らは、パトカーが 先導しているのが いつも 外国人だと 解っていて、
大型の 目新しい 観光 バスが、どうも 憧れの ようです・・・

そのうち、みるみる 空が 真っ黒になったとたん、滝のような 雨が
降り出して来ました!
バスの ワイパーが 今にも 壊れそうな 勢い、窓ガラスが 雨で
たたきつけられているので、外の 景色が さっぱり 見えません。

心配そうな 私達を 見て、現地ガイドの 男性が、
「大丈夫、15分位で 止みますから!・。」と 言った
その 言葉通りに しばらくすると また 何もなかったように
雨は 止み、太陽が 照りだして 来ました。

これが 名物の スコールです。


夕暮れが 迫った 街に 近づくと、仕事を 終えた 市民が 、どっと
セマラン 市街に 繰り出しています。
途中、乗客の リクエストで、
元 大統領夫人の デビさんの 自宅前を 通ってくれたり、
街一番の 規模の ショピング・センターに 立ち寄ってくれたりして
遺跡だけではなく、市民の 生活を 垣間見る 事が できました、
中でも クルーと 一緒に、ショピング・センター内の マクドナルド
で ハンバーガーを 食べたのが、一番の 思い出です!
バンズは 日本の 物より 固めで、小さかったです。
(これを 船長への おみやげに しましょう、という事に 決まりました)
クルー全員が 上陸出来る訳では ないようで、当直の 方達用にも
数個 ご用達、となりました。

どっぷりと 日が 暮れた 埠頭に 大きく 聳え立つ 船に 戻って
きたのは、7時近くに なっていました。

涼しくなった デッキに出ると、お土産に買った 仏像を さっそく
窓辺に 飾っている キャビンが あったので、
私も!と思い、ジャワ更紗の 大扇子を キャビンに 飾り、大満足!

いよいよ あさっては、最後の 寄港地 バリに 向かいます。

つづく

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09412 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 22
( 8) 00/07/21 22:57

2月 16日 ジャワ海・終日航海日

10日間の フライ&クルーズも、あっ!という間に 過ぎてしまって
もう 明日は 下船日、となってしまいました・・・

本日は、「ロウ・アクティビティ」となっていて、あまり 目立った イベントは
ない もよう、ですが、ほぼ 毎日のように 通った バリ・ダンスは
いつものように、10時からの モーニング・コーヒーを 大急ぎで いただいて
10時15分から 始まります。

先生、イベント・スタッフの 皆さんが、「お疲れ様でした。」と
声を 掛けて下さった 時は、大変 満足でした。
数々の イベントは 船内に 多いのですが、最初から 最後まで 通ったのは、
この バリ・ダンスが 初めてなのです!

乗船前から ある程度の イベントの インフォメーションをもらって、
あれこれ、と 色々始めるのも いいですが、この クルーズでは これを
絶対 やり通す!と 決めた 方が いいのかな?
と 今 クルーズで 痛感しました。
先生とも 顔見知りになって、日本のアドレスを いただきました。

この 後、メイン・ラウンジでは 次航の ハワイ・カリブ・クルーズが
最後と なり 引退される、井上機関長の よもやま話に 参加しました。

機関長は 商船学校受験当時は、航海科希望だったのに、合格したのは
何故か 機関科??・・・という 話し出しから、
1年間 家に 帰らなかった 事・・・
本当に お疲れ様でした。


昼食を いただいてから、船内で 知り合いになった 方達に
あいさつをしますが、皆さんが 一人参加の 私を 暖かく 迎えて 下さって
本当に 嬉しかった!
皆さん、本当に 旅が 好き!船が 好き!!
「今度 どの クルーズに 乗るの?」という言葉が、自然に出てくる ところが
他の 旅では 決して ない 、独特の 雰囲気が あります。

夕方になって、日が 落ちる寸前の ジャワ海を この目で 見届けよう!と
思い、8Fの デッキに 出る、と
鏡の ような 海面に おおきく 弧を 描いて、船は ゆっくり 南東の バリ島に
向かっています、そして 船と ほぼ 平行に 太陽が 真っ赤に 空を 染めながら
島々の 間に 姿を 消していきました・・・


むっと した 空気の 中に 時々 涼しい 風が 吹いて きます
下の 7Fデッキでは 、夕食が 始まっているようです。

今日は ケイジャンでした、暑い 気温の中 ちょっぴり スパイスが きいた
お料理は、食欲が 出てくるので、本当に 助かります!
ずっと テーブルの お世話をしてくれた、レストラン・クルーにも ごあいさつ
を する、と、
「マタ スグ カエッテ キテクダサイ!。」と、フィリピン・クルーに 笑顔
で 答えられると、絶対 この 船に又 戻ってこよう!と 思ってしまうのでした。

食事の後は、カナダ人ペアの キャバレー・ショーに みんなで 参加、
その 後は 最後の ダンス、となるはずでしたが、
明日の 下船の 準備を しなくてはいけないので、11時には キャビンに
戻りました、が、
そうそう、最後の お夜食は しっかり いただいたのでした!

つづく

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09414 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 23
( 8) 00/07/22 02:01

2月 17日 インドネシア・バリ島
8:00 ベノア港 入港

今クルーズ最後の 入港となる、バリ・ベノア港を しっかり 見よう!と
朝 7時前には、11Fオブザベーション・ラウンジ前の 展望デッキに
飛び出していきましたが、もう 10名位の 人が、ウイング上の、
一番 見晴らしの いい 場所を 確保していました!

パイロットと キャプテンが 何やら 話をして、艫を 見ています、
バリ・ベノア港は、規模は あまり 大きくないので、周囲に 並んでいる
漁船、クルーザーと ぱしびいの 大きさが、あまりにも 対照的でした。
これでは、YUMIさんが 乗船された レジェンドが 沖止めに なるわけです。

「今日は 何処へ 出かけるの?」と、昨日 ショーを ご一緒した、東京からの
ご夫人が 声を 掛けて下さいました。この 方も 一人参加の、リピーターの
お一人ですが、「一人旅の こつ」を、おおいに 指南してくださいました!

無事 着岸を見届けてから、早い 朝食を 取ります、これが クルーズで
いただく 最後の 朝食、だと 思うと、やはり 寂しい・・・!


気を 取り直して、本日は 全くの 自由行動、です。
私と 同じく 一人参加の 男性3名を 引率?!しての、グランド・ハイアット
巡り、となりました。

9:30の シャトル・バスを 待つ 間に、外で始まった、乗組員の
ボート・ドリルを 見学、噂には 聞いていましたが、本物の 現場を 見る
事が 出来ました。
暑い中、チョッサーを 中心に、救命ボートの 降下をしている 真最中でした、
本当に お疲れ様でした・・・。

今日は バリ上陸1日目、とあって、自由行動をする 人が多いのか、
シャトル・バスは、すぐに 一杯になり、定刻通りに 岸壁を 出発、
ブリッジで 散々 私の ジョークに付き合って下さった
3/Oが 外に出ていらしたので、
「今日で 下船なんですよ。」と 伝えると、バスを 見送って 下さいました。
(星座教室は、雲が かかって 1日も 開催されなかったのが 残念)

バスは 思った以上に スムーズに、島の 観光名所の 一つの クタ地区に 到着、
DFSが 入っている、プラザ・バリで しばし 停車。
休憩がてら 中に入りますが、本格的な 免税店、といったわけではないので、
品数は さほど 多くは ありません。
ハワイ・ホノルルを イメージしていったので、あらっ?といった感じでした、
が、島の 人達の 素朴さが 伝わってくる 雰囲気は 大好きです!

15分の停車の後、バスは 私達が 目指す グランド・ハイアットに向かいます。

途中、島の 中心部を 通りますが、アジア一の リゾートながら、素朴さが  
感じられる、独特の エキゾチックさが、白人にも 人気のある 理由なのでしょう、
ハワイの ような、完全に 都市化された リゾートも いいのですが、
現地の 人々の 暮らしぶりが 解る 素朴さは、格別の 趣が あります。

バリ独特の 割れ門の ゲートを 入ると、そこは、「ヌサドゥア地区」
の 入り口です:
大型の 一流リゾート・ホテルが 立ち並ぶ この 地区は、バリの 中でも
最も 洗練されている 様子。

大きな 庭園を 目の前にした、グランド・ハイアットの 入口の 目の前には、
真っ青な インド洋の 水平線が 見えます!

つづく

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09415 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 24
( 8) 00/07/22 22:57 コメント数:1

2月 17日 インドネシア・バリ島
ヌサドゥア・グランド・ハイアット・バリ

丁寧に 手入れが なされている 庭園の 中に回廊が あって、その 右が
ホテルの フロントに なります。
コテージ風の ホテルの 造りが、いかにも バリらしく、いくつもの
建物に 別れているため、自分の 部屋の 場所を 覚えるのに 一苦労
しそうです!

あまりにも 広い 庭園、ここは 16万平方キロの面積に、何と 656室
の 部屋数が あるため、とても 1日では 周り切れません。
ですが、アメリカン・タイプの 高層物は 全くなく、庭園の 中に お部屋が
点在しているので、プライバシーが 守れるように なっています。
確か バリでは、やしの木の 高さより 高い 建物を 建築しては いけない
ように なっているはずですので・・・


庭園の 中は 総ての 建物へ 回廊が はりめぐらされていて、行き止まり
が 美しい インド洋の プライベート・ビーチに なっています。


本当に 美しい 海!写真で 見るよりも 何よりも 美しい 海です。
ディープ・コバルト・ブルーの 海が 映える 真っ白な 砂、
「一度は インド洋に 航ってみて下さい!」と、幾人もの シーマンの 方達
が おっしゃった 意味が ようやく 解りました。

連れの3人 の 内の お一人が、今夜 この ホテルで 宿泊の 予定ですが、
みんなで、「いいですね!。」を 連発、
せっかくですから、という事で、記念に 皆さんで ランチ、となりました。

噴水の 音が 近くで 聞こえてくる、と思えば、その 水が 川の せせらぎの
ように、ホテルの 庭園を 巡回 していて、池には 水蓮の 花が 浮かび、
まさに ここは 「楽園」 そのものの 風景でした。


ややもすると、あれも、これも、と忙しく 動き回らければ 気が 済まない
日本人が 多いのですが、ここは
「本当に 何もしない」事を 目的に やって来ても、充分 その 価値が
ある場所だと 思います。


つづく

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09422 QYY04717 CABIN261 アジア・クルーズ・ログブックPART 25
( 8) 00/07/23 20:14

2月 17日 インドネシア・バリ島
グランド・ハイアット・バリーぱしふぃっくびいなす

楽しい 1日が あっ、という間に過ぎてしまいました。
船へ 帰る 私達3人は、美しい 庭園を 何度も 振り返りながら、ホテル
を 後に します。

インド洋に沈む 夕日は、さぞかし 幻想的で 美しい事でしょう!
「又、絶対 来てみたい!。」と思わずには いられませんでした。



岸壁に停泊中の ぱしふっくびいなすに 戻ると、バゲージ・ダウンは 19時
と、フロントから 確認されました。
プロムナードで すれ違う 人達からは、
「なぜ、下船は 明日 じゃないの?」との 質問が!
そう、ぱしびいは 明日18時に バリを 出航するのですが、多分 フライト
が深夜便の 為、 私達区間乗船者は、今日中に インドネシアを 出国なので
は ないか、と 思われます。

船内での 最後の 夕食は、京都 老舗の日本料理の 名物にしんそば付きの
会席膳、となりました。
噂には 聞いていましたが、いつ この お料理が 出てくるのかな?と ずっと
思っていたので、ダイニングに 入る時に、思わず 川本F/Bマネージャー
に、
「有り難うございます!。」と言ってしまいました。

バリで、東京にいても なかなか お目にかかれない、 京料理を いただく、
といった、ユニークな 発想が 可能なのも、クルーズの 楽しみの 一つ、
でも あります。


荷物を まとめ、フロント前に降りていくと、クルーズ・コーディーネーター
の 皆さん、C/Oが 見送って下さる中、 専用車に 乗り込みました。
何と 私の 左手には、日本から 持ってきた ダウン・ジャケットが!
これを 見た コーディーネーターが、
「そう、日本は まだ 冬なんですね、忘れてました!」の 一言に
一同 大爆笑!!

皆さんの 姿が 見えなくなるまで、ずっと 手を 振り続けました、
途中下船は、やっぱり 寂しいです・・・
私達 4人を 乗せた 専用車は、真っ暗に 日が 落ちた ベノア港を 後に、
デンパザール空港に 向かいました。


皆さんが 日本に 帰ってくるのは、10日後、
ぱしびいは フィリピン・セブ島に 寄港の 後、27日に 晴海に 戻ります。

おわり

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