「きたかみ」特等スイート乗船記:乗船日1999年1月27−31日
「いしかり」特等スイート乗船記:乗船日2000年1月3−5日
「きそ」特等スイート乗船記:乗船日2000年1月6−8日
「雪祭り」(きたかみ、いしかり乗船記):乗船日2001年2月8−12日
「富良野」(きたかみ、いしかり乗船記):乗船日2001年6月14−20日
■「きたかみ」特等スイート乗船記:乗船日1999年1月27−31日
きたかみ(太平洋フェリー)
1989.10.21就航 13,937トン 速力22.6ノット 旅客定員 842名
名古屋20:00−17:00仙台20:00−10:45苫小牧 1330km 38h45m
苫小牧18:30− 9:00仙台12:00− 9:00名古屋 1330km 38h30m
片道15,750円(2等)−37,280円(特等)スイート使用料25,000円(一室)
(季節割引35%とコムレイドクラブ割引10%適用で大人2名の片道57,900円)
「きたかみ」は普段は仙台−苫小牧間の夜行便として就航している船ですが、僚船がドッグ入りしている間だけ、名古屋−苫小牧に就航します。つまり、名古屋からの往復乗船のチャンスは年に数日しかないわけです。そこを狙って、あえて人気の「いしかり」ではなく、この日程を選びました。往復船中4泊、船内滞在時間80時間あまりの船旅となりました。
今回は夕方自宅を出ればよいということで、時間に余裕があったので、名古屋駅からJRで金山へ、そして地下鉄に乗り換えて築地口へ、という経路を試してみました。金山は名古屋市内のJR駅なのに、出口で改札機がピンポ−ン。近頃のJRの切符は不可解です(130円支払い)。地下鉄築地口はとても地下深い駅で、地上まで延々と続く階段に辟易。ほんとはさらにバスに乗るわけですが、ここでダウンしてタクシーと相成りました。運賃2000円弱でしたから、名古屋駅からタクシーに乗ったのと合計で1000円ほどしか違いません。何やってんだか(笑)。
蛇足ながら、名古屋からの乗船時には、名古屋駅のバスターミナルからフェリー埠頭へ直通のバスがあるようです。下船時にはありませんでしたけれど・・・。
荷物が多かったので、名古屋港のボーディング・ブリッジの階段だらけの通路に難儀しながら、ようやく「きたかみ」に到着。Cデッキに乗船しました。1つ上のBデッキにある案内所で鍵を受け取ります。何と2個の鍵を渡されました。ちょっと心憎いサービスです。受付嬢がAデッキにある部屋まで案内してくれました。
Aデッキの客室は、最前部に101−104のスイートのみ。他は乗組員の部屋です。今回の部屋は右舷角部屋の101号室。広さは40畳ほど。セミダブルのツインベッド、長いソファ2つ、チェア2つ、バーカウンタと小さい高い椅子2つ。バーカウンタの裏側に冷蔵庫と湯沸かし器。奥にグラス類の入った透明なキャビネット。テレビはソファから見られる位置に大型1台とベッドから見られる位置に小型1台。室内にはセンスのよいガラス製の仕切りも配され、入り口から室内を見渡せないようになっています。窓はフロントとサイドに1つずつ。バス・トイレのスペースもゆったりしていて、強力なドライヤーがありました。
照明器具はたぶんイタリア製。いくつかのダウンライトやスタンドとともに、全部で4系統の配線に分かれていて、気分に合わせたライティングができます。ダウンライトのあたる位置2ヶ所にあるアートフラワーが豪華に映え、インテリアの配色も落ち着いて良い雰囲気です。
アメニティは、マスコットのフェリカ君マークの素敵なケースに入った洗面セット、ゆかた、バスローブ、サンダルという内容。
冷蔵庫の中身は自己申告制で有料。ビール、ジュース、お茶などが入っていました。ミネラルウォーターも欲しいですね(売店まで行けばあります)。茶筒の中には、粉末のほうじ茶と緑茶のパックがぎっしり入っていました(これは無料)。
1ルーム40畳はさすがに広く、この部屋で4泊を過ごして、息づまるという感じがありません。2つのソファはそれぞれ一人で占領して、寝そべるのも自由。フロントの窓もブリッジの真下という好位置にあるので、すぐ下のBデッキの展望ラウンジよりよい眺めです。
すべてに申し分のない部屋でしたが、枕だけはいただけませんでした。スポンジ製のポワポワで寝ている間に肩が凝ってしまいます。往路2晩は我慢したものの、帰路はダメモトで一応聞いてみようと、受付に電話しました。「探してまいります」との返事で、しばらくすると、適度な弾力のビニールパイプチップの枕を2個届けてくれました。お陰でぐっすり眠れるようになりました。
あとは、欲を言えば……という話ですけど、着替えて食事に出るのが面倒なことがあるので、食事・喫茶のルームサービスをしてほしい(食事はすべてバイキングなので難しいでしょうか)、カップやグラスの数を倍にしてほしい(2日過ごす間には皿洗いが必要でした)、乗船時に船内アトラクションのプログラムを渡してほしい(受付に掲示してあるものの、自室が一番快適なので、乗船時に見落とすと知らないままになってしまう)くらいでしょうか。
パブリックスペースには、レストラン、コーヒースタンド、売店、バー、展望大浴場、ゲームコーナー、ミニシアター、展望室、展望通路、ショーラウンジなどがあります。ちょっと意外な感じがしたのは、浴室前のコインロッカー。
今回の楽しみのひとつはCデッキの展望浴室でした。広い浴槽の半分はジャグジーになっていて、ゆったりとお湯につかりながら、窓の外を楽しめます。といっても、女湯は右舷側なので、往路は海ばかり。帰路は夕日を見ることができました。逆に男湯は往路に夕日のチャンスがあったわけですが、水平線に雲があって、夕日はみられなかったでしょう。サウナもついていて、入港1時間前まで、24時間いつでも利用可能とのことでした。
ミニシアターでは、午後と夜に映画を上映していました。帰路の仙台出港後に「アポロ13号」をやっていたことが後でわかって、見ていなかっただけにちょっとがっかりしました。ちなみに、部屋のテレビは、NHKの衛星放送の他、独自のビデオチャンネルが2チャンネル、そして、ときどき各地の地上波が入っていました。ビデオでは「釣りバカ」などをやっていたようです。
船内での食事は、Bデッキのレストランです。三食ともバイキング形式(ソフトドリンク付き)で、朝1100円、昼900円、夜1800円(税込)です。往路の夕食1回、昼食1回、復路の夕食1回を利用しました。
往路の夕食は、午後8時の出港直後、しかも旅客が29名ということで、レストランは閑散。お客が少ないと品数が少ないのでは、と心配していましたが、百数十名が乗船し、団体客には食事券が配られていた復路よりやや少ないものの、各品味見程度の分量を取っただけでも充分に満腹する品数はありました。夕食でおいしかったのは、ビーフステーキ、揚げたてのかきフライ(復路のみ)でした。甘いもの駄目なので取りませんでしたけれど、夕食にはデザート(ケーキ、アイスクリーム)も出ていました。
昼食は一番値段が安いのですが、これは肉のかたまり料理がないからでしょう(笑)。お客の少ない往路での利用でしたが、手を抜かずに作ってあって、お食べ得でした。
朝食は持ち込んだ食料で済ませてしまって利用しませんでしたけれど、和食と洋食の両方が用意されているということでした。朝早くから着替えて、化粧して、なんて面倒ですものね(^_^)
名古屋−仙台間を航行中の午後2時20分頃、僚船「いしかり」とすれ違う時間に30分間のブリッジ見学の時間がありました。ブリッジにいた乗組員は、2等航海士と機関士、案内の近藤パーサーと若い客室乗務員の計4名だけ。巡航中は2名で運行してるんですね。遠くにかすかに見える「いしかり」と航海士が無線で汽笛の鳴らし方を打ち合わせています。双方20ノットを超える速度ですから、みるみる近づいて、ブリッジ後ろの甲板に出て待っていると、すれ違う瞬間、突如、頭の上で大音響の汽笛が・・・。
ブリッジの窓は当然のことながら、一点の曇りもなく磨かれていて、客室の窓が塩で曇って残念と言ったら、ブリッジは簡単に窓拭きできるように、外に人が通れるスペースが取ってあると説明されました。なるほど・・・。
帰路のブリッジ見学の後、かねてよりパーサーにお願いしてあった客室見学をさせていただきました。特別室はAデッキの4室の他にBデッキ前部の角に少し狭い2室があります。これも同じ料金なんですけど、説明では、1等室以上はグループごとに各室占有だそうですので、きっと1名だとこちらになるんでしょう。相部屋にはしないので、定員未満で利用すると、空ベッド料が必要とのことでした。ちょっと面白かったのはA寝台がカプセルホテルみたいになっていて、専用テレビがあること。後部の2等和室(大部屋)はエンジン音が気になりました。B寝台は前部と後部にありますが、後部は同じくエンジン音が響くだろうと思います。あと、Bデッキ前部のミーティングルーム(501)は、閑散期は使用していませんが、繁忙期には2等和室になるそうで、ここは周囲を特等室に囲まれた窓なしの大きい部屋ですが、乗り心地は良さそうです。
船内はどこも暖房が行き届いていて、北海道に行くからと厚着をしていた私は調節手段がなく、売店で「M.S.KITAKAMI」と書かれた半袖Tシャツを買う羽目に。沖縄行きの「飛龍」は寒かったのに……。「飛龍」と違い、船室の空調はデジタルで0.5度単位で調節可能でした。ちなみに、M.S.の意味は、後にニフティ会議室で教えていただいたところでは、「Motor Ship」の略、Tシャツに描かれていた4枚の旗の絵は、JECUを表わすそうで、これは「きたかみ」の船のコードだそうです。
仙台港では一時下船できました。このフェリーターミナルには太平洋フェリー直営のショップと軽食スタンドがあります。ここのラーメンがおいしい。関西ではしょうゆ味・魚ダシのラーメンって珍しいですから、行きも帰りも食べてしまいました。実は、フェリーの昼食バイキングにもラーメンがあって、バイキングですから麺の方はのびてしまってイマイチながら、スープがとってもよかったので、同じ会社のスタンドなら・・・という直感が働いたわけです。
仙台は3時間しか停泊しませんので、街に行くにはちょっと時間が足りません。東日本フェリーのカウンタがあったので、「ばるな」をはじめとする各船のパンフをくださいと言ったら、おまけとして「ばるな」の全景の入った1枚物のカレンダーをゲットしてしまいました(^_^)。
苫小牧港では、帰路も乗船すると言っても、やはりそのまま乗っているわけには行かず、下船して約7時間の北海道上陸となりました。ウトナイ湖に白鳥でも見に行こうかななんて思っていましたが、うっすらと雪化粧して、歩道は凍っていました。予想どおり、雪のない街で売っている靴ではスケート状態。とりあえず、昼食を・・・と、港から苫小牧駅への市バスの運転手さんに寿司屋を聞いてみたんですけど、やっぱり夕方からでないとめぼしいところはないようで、駅前の回転寿司なら、との話。まず駅前のショッピングビルの最上階をひとまわりしてみるものの、食指を動かされるものはないし・・・。都会と違って、漁港のある街の回転寿司ならネタがいいだろうと、意を決して回転寿司に入りました。皿の色で100円、200円、300円と区別された寿司が回っていて、他にカニ汁200円がありました。これがおいしかったんです。ふたりで十数種類、お腹がはちきれるほど食べて、まだ食べられなかったネタが心残りです。それで3000円でおつりが来るんですから・・・。メニューにはなかった300円の大きな甘いエビが特に絶品でした(あとでスーパーで見たら「赤エビ」と書いてありました)。
お昼を終えると残り時間は5時間ほど・・・。寒いし、JRの鈍行に乗って千歳空港に飛行機でも見に行くことにしました。変な旅ですね(爆)。途中の景色は、どこまでも広く白く、やっぱり北海道。千歳空港では、もうラーメンを食べるだけのキャパがなくて残念。ピカチュウの飛行機を見たかったんですが、到着が16:45。帰りのバスの時刻は16:50ということで、これも断念。バスはウトナイ湖のあたり、JRとは反対の岸を走ります。雪景色の雑木林の中、湖に続いているであろう小道を見ながら、白鳥見物はやめておいて良かったのかな・・・と思っているうちに、苫小牧に帰着。今度は雪のない季節に来て、少しは北海道観光らしきこともしてみたいものです。
さて、4日も船に乗ったら揺れることもあるだろうと思っていたのに、往路は高気圧を追いかける形で頭上はいつも晴れ。帰路は冬型で安定してしまったのか、さらに波静かで、ちょっと揺れてると感じたのは、往路深夜に津軽海峡の横を通り抜けるときだけでした。乗務員の方々は、台風でも来なければ、「そんなに」揺れないと言っていましたけれど……。というわけで、船酔いするかどうか、いまだに分かりません。
乗務された方々の気持ちよい対応、快適な設備、そして不思議と静かな海のおかげで、4泊5日の船旅は、終ってみれば2日くらいにしか感じられないほど時間の経つのが速く、名古屋に帰着したときは、もう一往復したい気分でした。「いしかり」、「きそ」にも是非乗ってみたいと思っています。
(1999年2月2日初稿、2000年1月17日修正加筆)
■「いしかり」特等スイート乗船記:乗船日2000年1月3−5日
いしかり(太平洋フェリー)
1991.3.25就航 14,257トン 速力21.5ノット 旅客定員 854名
名古屋20:00−17:00仙台20:00−10:45苫小牧
片道7,900円(2等)−18,700円(特等)スイート使用料12,500円(一室)
(H11/9/1−H12/6/30の間の季節割引運賃)
名古屋出航は午後8時ですから、夕刻にゆっくり家を出て新幹線で名古屋に向かいました。名古屋駅では古い地下街「エスカ」の中のきしめん亭で味噌煮込みを食べましたけれども、1回体験すればいいって感じでした。普通のあっさりしたのにしておけばよかったと後悔。
フェリー埠頭のカウンタで乗船手続をしたら、キャンセル待ちで入れていた帰路の「きそ」のスイートが取れていました(特等しか取れていなかったのです)。年末に予約を入れた後、コンピュータが稼働していた時間は合計で数時間もない筈なのに、何と言う幸運! そして、本当は2人ともに今年の誕生日を迎えて合わせて満100歳になるのですが、それを伝えると、100歳ペア・サービスできますとのこと。今はすでに大幅割引きされているので、名古屋−苫小牧間では料金割引きはなく、それでも朝食券4枚、昼食券2枚、喫茶券3枚(帰路は4枚だったので多分間違えた)、オリジナル・ワインのフルボトル引換券1枚、総額8600円相当をゲットし、ルンルン気分で、「いしかり」に向かいます。
15分ほど前から乗船が始まっていて、もうパラパラとしか乗客が来ないからか、パーサーがお一人でボーディング・ブリッジとの接続点で出迎えていました。そして、ワンコ連れで大荷物の私たちを見て、大声で上に向かって「お荷物お持ちして!」と叫んでくださいました。ここから、もう気持ち好いサービスの始まりです。
スチュワーデスの案内で、ブリッジのすぐ下、Aデッキの左舷角部屋へ。部屋のドアを入ると、また正面と右手にドアがあり、正面はサニタリー、右は居室、そして左手がクローゼットになっていました。居室は20畳くらい、写真どおり、半円形の長いソファーとチェア2脚、バーカウンタ、セミダブルのベッド2台。でも、ソファーは2人が同時に寝そべる長さはないし、カーブしているので、見た目ほど使いごこちは良くない。サニタリーは、噂どおりの展望風呂で、しかも3畳弱とかなりの広さ。居室と直結でなくて、ワンクッションあるのが好印象です。
文章ではちょっと書きにくいのですが、円形ソファとの配置の関係で、部屋の前部の窓は、外を覗こうとすると、窓の中にもぐり込むような感じになります。で、外洋に出てから、そこにクッションや枕を敷き詰め、仰向けになると、窓は手前に傾斜していますので、船室内から星空を堪能するという得がたい体験ができました(^_^) もちろん、室内照明はすべて消して。
船内の様子は、他の方々が紹介していますので省略。他の船と一番違うと感じたのは、この船のみ内装が女性デザイナーだそうで、全体に華美な雰囲気であること、レストランが最後尾にあり、3面が窓という解放的な雰囲気であること、そして売店がすごく広いことです。
翌日、仙台入港前の午後2時頃にブリッジ見学がありました。この日は残念ながら、すれ違う僚船はなく、大洗に向かう東日本フェリーの船を遠望できただけでした。しかし、この会議室を読んだりして、いろいろ疑問に思っていたことを一挙に質問する絶好の機会となりました。
『30,000トンが14,500トンになる謎』:船の種類によって、トンの計算方法が違い、旅客を乗せる船は容積トン、貨物船は載荷重量トン、軍艦は排水トンだそうです。フェリーの場合、車両区画は密閉区画でないので容積から除外されるため、もし純客船なら3万トンクラスの大きさであっても、半分になるそうです。
『大浴場の水は支笏湖の水?』:給水系統は、蛇口から出る上水系とトイレの雑水系の二系統になっていて、上水は各地の港で給水する水道水、雑水系は海水を減圧蒸留した水だそうです。ということで、大浴場が支笏湖の水というのは、そのときの船長さんの冗談のようです(^_^)。
『スタビライザーは引っ込むか?』:先日の「すいせん」では、高速運行のためにスタビライザをなるべく使わないという話を聞いたので、「いしかり」ではどうかと思ったのですが、航海中は常時使用しており、しかし、入港時には岸壁に当たるから引っ込めることはできるそうです。なるなる (^_^;;;
『余談(^_^)』:港の信号塔の説明、船長さんのローテーションなど、まだまだたくさんのお話を聞かせていただきました。中でもとっておきの余談は、仙台から名古屋に向かう途中、沖合を北海道から大洗に向かう東日本フェリーとブルーハイウェイの船が併走し、いずれ航路が交叉するのですが、東日本の船が馬力にものを言わせて、追い抜きがてらに前方を横切ったこともあるそうで、航海士さん曰く「こっちはボロだからかなわない・・・」。スイートの比較談義では「きそのスイートは室料がもったいない」。ええっ、そんなこと言ってもいいの?(笑) 気さくな対応に、ますます太平洋ファンになってしまいました。
ブリッジ見学を済ませ、しばらくすると仙台入港。フェリー埠頭の手前に何やら客船らしき船が見えます。「おりえんとびいなす」でした。年末の仙台クリスマスクルーズの後、ずっと停泊していたのでしょうか? 船内、一部照明が付き、マストから船尾への電飾も点灯していました。(後に会議室で得た情報では、小笠原クルーズに出ていたそうです。)
仙台では、珍しくタグ1隻に押されて、「ほるす」の隣に着岸。ここで約150名の乗客のほとんどが下船し、さらに多くの人が乗り込んで来ました。離岸はタグ2隻に引っ張られ、180度の転回。折りしも船内放送はウィンナワルツ。まるで船がダンスをしているみたいでした(^_^)。
この夜は強風の影響でかなりうねりが強く、夜間はこれまでで一番揺れた航海となりましたが、天気予報どおり、津軽海峡を過ぎたあたりから青空が見えて、受付横の電光盤は速力22ノットと出ていました。海事通信社のHPの情報では航海速力21.5ノット、船内でいただいたパンフによれば最大速力24ノットですから、頑張っていたようなんですが、船の方はやはり遅れが出ました。朝、ブリッジから「昨夜は向かい風が強く、予定の速力を出し得なかったため、苫小牧入港は約30分遅れます。」と悲痛な声で放送が入りました。前日のブリッジ見学のときの話を思い出して、笑ってしまいました。
苫小牧港では、フェリー岸壁と反対側、港の入り口付近に「ぱしふぃっくびいなす」が停泊していました。岸壁にたくさんの人がいて、ちょうど到着を出迎えている感じ。仙台のおりびいと言い、思いがけない出会いでした(^_^)
とにかく、2日間の航海は、もう着いてしまったという感じで無事到着。本当に船の上では、何をしているという訳でもないのに、時間の流れ方が違うようです。
(「きそ乗船記」に続く)
(2000年1月9日初稿、2000年1月17日修正加筆)
きそ(太平洋フェリー)
1987.10.26就航 13,730トン 速力21.5ノット 旅客定員 850名
苫小牧18:30− 9:00仙台12:00− 9:00名古屋
片道7,900円(2等)−18,700円(特等)スイート使用料12,500円(一室)
(H11/9/1−H12/6/30の間の季節割引運賃)
年始の変則スケジュールのため、乗って来た「いしかり」は折り返し仙台までしか運行しません。この後「いしかり」は1月前半、仙台−苫小牧間の往復便に就航し、そのままドック入りするので、次に名古屋から出航するのは1月30日になります。帰路は翌日発の「きそ」。地上1泊のみで違う船で往復できるチャンスは年3回くらいしかありません。
さて、今夜は道内に1泊ですので、まず昨年「きたかみ」で来たときにも食べた駅前の回転寿司で、念願のボタンエビをたらふく食べ、洞爺湖温泉に向かいました。インターネットで調べたら、ワンコと泊まれる旅館があるのです。きっとお客の来ないシケた旅館だからワンコが泊まれるのだろうと思っていたら、なかなか綺麗な旅館でびっくりしました。荷物を置いて、もう1つ、番外の船旅へ(^_^)。
冬季なので運行していないかと思っていた洞爺湖遊覧船(洞爺湖汽船の運行)が出ていました。船はお城の形を模した双胴船で700人乗り。40分ほどで洞爺湖中央の中島までを往復します。お客は2名と1匹かと思いきや、もう1組、家族連れ4名が乗り組みました。船内を流れる案内は、洞爺湖、有珠山、昭和新山の歴史を要領よく説明していて、なかなか聞きごたえのある内容で、乗って正解でした。こんな大きな船をどうやって洞爺湖に持ち込んだか、下船時に尋ねてみると、洞爺湖汽船の造船所が湖岸にあって、そこで造ったそうです。なるほどね。
夕食は「味の宿」と銘打っているだけあって、不味くて食べられないものを並べて、分量だけ豪華という温泉宿のイメージとはちょっと違い、なかなかでした。ただ、せっかく上品に揃えて出した料理の最後が、町の中華屋みたいな八宝菜で、臭いだけでも気分の悪くなる代物だったのが残念でしたが。
この晩は、食べ過ぎたのか、噂に聞く洞爺湖温泉の湯当たりなのか、嘔吐と下痢で苦しんで(連れは無事だったし、時間から見て食中毒ではないですが)、せっかくの味の宿の朝食はパス。おいしそうなものが少しずつ並んでよかったのに・・・(泣)。
予定していた火山博物館などの観光はパスして、バスで室蘭に向かいました。途中、昭和新山の真横を通過するルートでしたので、その異様な光景を間近に見ることができ、また、室蘭近くではトンネルを通る列車と違い、海岸線の一般道を走りますから、昨年できた白鳥大橋もよく見えて、これもいつものことですが、ローカルバスの旅は楽しいものです。
室蘭駅は室蘭本線から枝分かれした盲腸のような駅です。最近、500mほど手前に新しい駅が作られて、国の有形文化財という旧駅舎は観光案内所になっていました。フェリー埠頭はここから数百m。もしかしたら、JRの駅に最も近い長距離フェリー乗り場かも知れません。
最盛期の人口から半減し、活気の見えない商店街を少し散策した後、タクシーで北海道100景の第1位という地球岬に向かいました。夏なら鯨ウォッチングもできるそうで、シーズン中は海から観光できる船が出ているのですが、今の時期はこの方法以外に手段がありません。寒い寒い地球岬の絶景を記憶にとどめたあと、タクシーの運転手さんが、自分が好きな風景があるので案内したいと言います。5分ほど走ると、トッカリショというところに着きました。地球岬から見た景色とはうって変わって、北欧かスコットランドのような感じの景色の向こうに、鯨が3頭見えます。もちろん、本当の鯨ではなくて、鯨の親子のような島ですが、まぁ、とにかく運転手さんの案内のお陰で、鯨も見て(^_^)、新室蘭駅に到着。
体調不良で観光をはしょったので、苫小牧フェリーターミナルには3時頃に到着してしまいました。「きそ」はさすがに「いしかり」に比べると薄汚れてみえます(ー_ー;) 満席のこの日、待合室にはすでにたくさんの人がいて、トラックの乗り込みは始まっていました。乗用車も続々とやってきて、たくさんの車が乗船待ちしています。5時頃だったでしょうか、ようやく船内に入ることができました。
「きそ」のエントランスは、階段の手すりがペンキ塗だったりして、何となくノスタルジックな雰囲気です。「きたかみ」、「いしかり」にあったクルーの写真掲示もありませんでした。また、後で覗いてみたら、ミニシアターはスクリーンへの投影ではなくて、テレビと椅子が置いてあるだけの部屋でした。
「きそ」だけは、スイートがBデッキにあり、部屋の出入りのたびに階段を上り下りする必要がありません。キャンセル待ちだったのに、ラッキーなことに左舷(海側)ながら角部屋でした。部屋は寝室と居間とサニタリーが完全に独立しています。したがって、居間は8畳くらいしかなくて、ちょっと狭い感じ。電話もバーカウンタもありません。寝室に入ってびっくりしたのは、一応4名でも泊まれるように、上段が収納式の二段ベッドになっていたことで、ベットもシングル幅でした。設備的には確かに他の2船に比べたら劣りますが、居間と寝室が別であることの快適さ、Bデッキにいる限りバリアフリーの便利さもあるわけで、室料がもったいないということはないのではないかと思いました(^_^)。
Aデッキのブリッジ下には展望室があります。そして、何とその外の甲板にも出られるのです。つまり、Aデッキの甲板は船首から船尾まで、ぐるりと一周できるようになっています。気候のよい時期に乗るなら、船好きにはたまらない構造。何でこんなに素敵な構造が同じ構造になるはずだった「きたかみ」や、その後の「いしかり」に引き継がれなかったのか、そして他のフェリーにないのか、その訳は夜間灯に関する法律が変わったためだそうです。詳しくは理解できませんでしたが、前部の夜間灯の位置を確保するために甲板を取れなくなったので、「きたかみ」以降では、その場所がスイートルームになったとか。
さて、満席の「きそ」は、やはり車の乗り込みが間に合わず、定刻より30分以上遅れて出航となりました。乗船時にすでにチラホラしていた雪は、その頃には本降りになり、強風に煽られて空中を舞っていてほとんど視界がありません。2隻のタグに引かれて離岸です。
港内を出ると、すぐに昨晩をしのぐ揺れが始まりました。舞い散る雪で視界のない窓の外を見ていると、ときどきドサッと雪の固まりが窓ガラスを落ちて行きます。そのうちに、波しぶきが直接窓にバシャっと当たるほどのシケになりました。前部と側面と両方の窓に波が当たります。すぐ上の展望室はおろか、ブリッジにも波は届いている様子。大きなうねりへの当たり具合によるのでしょうか、時折、ドーンとすごい衝撃も混じって、この夜は一晩中、バシャ、バシャ、ドーン、そして室内はミシミシときしむ音。今回、3隻目の太平洋フェリー乗船で初めてラウンジでのショーがあり(「きたかみ」のときは客数が少ないためにエントランスでの演奏のみ、「いしかり」はなし)、この夜も実施されたそうですが、ビールやジュースの瓶が倒れたりするほどだったそうです。
幸いにして、初めての強烈シケ体験は酔うこともなく、翌朝を迎えました。
仙台入港はシケのため1時間近く遅れました。今回は昼食券が出ているので、ターミナルのラーメンは見送り。今夜の夕食メニューに楽しみにしていたカキフライはないということなので、夕食用に仙台名物のタンを仕入れただけです。ターミナルでは、スライスしたものとブロックと2種類出ていて、スライスしたものの方が部位が根元で上等(単価も倍)だそうです。でも、どちらもおいしいです。
往路と同じく、ここでほとんどの乗客が下船し、今度は観光バス8台分約400人の伊勢観光ツアーのグループが乗り込んできました。このツアーは19800円、名古屋到着後バスで伊勢神宮参りをします。船中2泊に船内の食事往復6食、それに観光中の昼食も付いています。仙台あたりに住んでいたら、かなりお得な感じ。今回はちょっと揺れたので、船に弱い人には気の毒でしたが。仙台で30分くらい遅れを取り戻したいようでしたが、やっぱり55分遅れの出航となりました。
その夜は、初めてラウンジのショーを見て、廣戸パーサーの絶妙な司会ぶりにびっくり。後で聞けば、元航海士で配転でパーサーになられたとのこと。そして、外国船(プリンセス何とか)へ研修に行ったりもなさったそうです。太平洋フェリーが乗客サービスに力を入れている様子をうかがえるエピソードでした。いつも金線1本の制服をピチっと着た年配の男性が、レストランのサービスにまで出ていましたので、他部門からの配転はよくあるのかも知れません(ちょっとお気の毒な感じでしたが)。
翌朝は、伊良湖水道の通過待ちで、せっかく少しは取り戻したと思われる遅れを費やして、出航時と同じ55分遅れで名古屋港到着。隣には11時出航予定の「飛龍」がいます。これに乗って行けば、大阪まで行けるなぁと思わず考えてしまいましたが、ワンコがいるので断念です。
往路と同じく、2泊42時間半の旅は、その時間を感じさせることなく終わってしまいました。瀬戸内海周遊の「おれんじ8」は、1泊15時間半の旅になるのですが、こちらは実際より長く感じられます。船には、それぞれ別の時計があるのでしょうか?
(2000年1月9日初稿、2000年1月17日修正加筆)
■「雪祭り」(きたかみ、いしかり乗船記):乗船日2001年2月8−12日
また、太平洋フェリーのスイートで名古屋−苫小牧の往復乗船をして来ました。今回の目玉は、仙台港3時間停泊の間の外食、札幌雪祭り、そして帰路仙台での「きたかみ」から「いしかり」への乗換えです。船内のことはすでに書きましたので、乗船記の方は食べ物のことばかり(^_^)
2月8日の夕方、新幹線で名古屋に向かいました。ホームに着いてみると、2台続けて「のぞみ」で、さすがにもったいないので見送って、約20分間「ひかり」を待つ羽目に。名古屋では、前回「味噌煮込みきしめん」に辟易してしまったので、今回は同じ店ですが、「味噌カツ定食」と「雑煮きしめん」。味噌カツ、一口なら美味しい(^_^)
18時半少し前に名古屋フェリーターミナル到着。予約時には雪祭りで混んでいるので希望の角部屋が取れるかどうか分からないと言われていたんですが、ちゃんと陸側のスイートになっていました。何故か帰路分は発券されず、往復割引き証明書の発行のみ。季節割引き中なのに往復割引きあるの? と不思議な感じ。100歳ペアサービスで、朝食券4枚、昼食券2枚、喫茶券4枚、ワイン引換券1枚、総額8900円分(片道2名分)ゲット。ちなみにこれは特等でも付くので、100歳ペアなら1等と特等の差額2名分5800円より高額のプレミアムです。
手続きをしている間に乗船時間になり、すぐに船に向かいました。受付には、船内ビデオとシアターの番組案内の小さなチラシがあって、部屋に持って行けるようになっていました。これは便利ですが、今回は目ぼしいのがなくて残念。(「いしかり」は掲示のみでした。)
部屋に入ると、前回と左右対称配置になったせいか、ちょっと変な感じです。反対側の角部屋は、東京から来られたというご夫婦で、仙台からでもいいんだけど、せっかくだから名古屋から乗船とのこと、東京−釧路航路が廃止になったことを残念がっておられました。
30分前、15分前のドラを聞いて、定刻出航。Kitakamiのラベルのワインを飲みながら出航風景を見ていると、信号所が「K→E」と点滅しているのが見えて、ちょっと嬉しい気分。、
今回乗船のエンターテイナーはマジシャン。マジックはテレビでしか見たことがなかったので、楽しみにホールに行きました。前回乗船時はお正月でイベントがなく、「きたかみ」のホールは今回が始めてです。50センチもある棒が一瞬にして消えたり、ハンカチになったり、火のついたタバコを口の中に隠したり、タネがあるとは分かっていても、そのタネはまったく分からず、目の前で繰り広げられるマジックに目が釘付けになりました。
その後、夜食にフェリカクラブ(喫茶)に行き、サンドイッチとピザパンを注文。サンドイッチの方は目の前で手作りでした。見ていると、おにぎりも手作りしてます。大きなホカホカのおにぎりは何とも美味しそうで、連れが思わず注文してました。これ130円! おにぎりは、以前「いしかり」で冷凍焼きおにぎりだった記憶があったので尋ねると、手作りしているのは「きたかみ」と「きそ」で、「いしかり」は冷凍品とのこと。フェリカクラブのお姉さんは何でもよく知っていて、以前に乗船したときのパーサーさんの配船とか、仙台港から3時間以内で行ける食事どころとか、忙しいのに結構よく答えてくださいました。
翌日の朝食と昼食は、ゲットした券でバイキングへ。スタッフが気持ちよい笑顔で迎えてくれますし、おじぎの仕方もずいぶん訓練している様子で、フェリーでここまでするの? と、こちらが気恥ずかしくなる感じ。後で分かったんですが、「きたかみ」のスタッフが頑張っているのにはもしかしたら訳があるかも知れません。クルーズ誌の人気投票で、1位が「いしかり」、2位が「きそ」、3位が「すずらん」、4位が「きたかみ」だったからです。私から見れば、太平洋フェリー3隻の順位は乗船客数の差ではないかと思うんですけど、当のスタッフにしたら悔しかったかも知れませんね。個人的には内装が落ち着いていて設備のよい「きたかみ」が一番好きです。
夕方定刻の17時に仙台港入港。タクシーでフェリカクラブのお姉さんから聞いたあたりの場所を告げると、運転手さんから「鳥善」の名前が。この店は活魚料理としてネットのチャットで聞いた店です。それほど有名なら、ということで、「鳥善」に決定しましたが、少し手前の炭火焼きの店もよさそうな感じでしたが。(鳥善 022-365-5958 日曜休み)
店の外にお品書きがないのでちょっと不安になるも、メニューは3000円から7000円まで、千円きざみのコースのみで、値段の差は刺身の差のようです。おかみさんが一番高いのを薦めるので(アタリマエ)、それにしました。同じものを関西で食べることを考えれば、ずいぶんお食べ得ではありましたが、料理の出て来る順番と取り合わせがイマイチでした。ちなみにメニューは、シーフードサラダ(フランス料理風ながら、ソースは酢味噌)、生カキと焼きズワイとカニミソ、白子と豆乳の茶碗蒸し、お刺身12種、地鶏のツクネ、白菜漬物、白子のパイ仕込み、貝のスープ、スープの残りで作る雑炊。もしまた行くことがあれば、豆乳茶碗蒸し、お刺身、貝スープ、雑炊のみを4000円くらいで食べさせてくれたらいいなぁと思いました。
名古屋からも雪祭り見物の団体が何組か乗っていましたが、仙台からさらにたくさん乗り込んで、客数は600人くらいになったようです。さすがに船内はごった返した雰囲気。翌朝の朝食も大混雑。やっぱり100人くらいがゆったりしてていいです。
なんだか、食っちゃ寝してる間に、名古屋−仙台間で少し揺れただけで、いたって平穏な39時間弱の船旅はあっという間に終わり、定刻10:45苫小牧到着。船室から岸壁ぎりぎりに転回して着岸する様子を見たあと、下船し、2つ目のイベントである札幌雪祭りに向かいました。
フェリーターミナルから札幌までは直通バスもあったんですが、特急の方が少しだけ早く到着できそうと思ったのが裏目に出ました。何故か予定していた列車だけ遅れが出たようで、札幌到着は31分遅れになり、札幌にいられる時間は2時間半となってしまいました。
さすがに北海道は寒く、札幌の気温マイナス2度。それでも、前後数日はマイナス数度でしたから少しは暖かいんですけど、雪祭りの方は、雪像を3つほど見ただけで、出迎えてくださったネット仲間と居酒屋に逃げ込んでしまいました。そこで初めてタラバガニを賞味。これはとても美味しかったです。地元の方の説明では、お土産として売っているのは、タラバの仲間ではあるけれども、アブラカニとかいう種類だそうで、苦みがあってあまり美味しくないとか。きっと三大カニ食い放題ツアーなんて、そんなのが出るのだろうと想像。
ネットで文字の会話しかしたことのなかった人たちとのミニオフはあっという間に時間が経ち、なごり惜しくも列車の時刻になりました。帰りは始発ということで定時発、何とか座れました。
フェリーターミナルで乗船手続をすると、やっぱり往復割引きがあるとのことで、重油価格変動の調整で値上がりしたはずなのに、前回より少し安いようです。帰路も希望どおり陸側の角部屋が取られていました。
船に戻ると、お部屋の冷蔵庫のお忘れ物をこちらの冷蔵庫で預かっていますとのこと。チャット仲間に渡すはずのお土産を置き忘れていたんでした。きっとお掃除で処分されているだろうと思ったのにびっくり。ちょっとチグハグなのは、札幌で必要のない荷物を預けていたんですが、それを部屋に届けてくださるまでは気が回らなかったらしいこと。往路でわざわざ持って来てもらったパイプマクラの方は、帰りも使いたいからよろしく、と頼んでおいたら、ちゃんと部屋に届いていたんですけどね・・・。下船中の荷物預かりは、本来はしないことになっているようなので、無理は言えないかな。
カニでお腹一杯になってしまったので、船のバイキングはパスして、売店で売っていたイカメシを暖めてもらって、部屋で食べることにしました。フェリカクラブに持って行くと、イカメシは厨房に消え、お茶をしながら待つこと約20分、適当な大きさに切り分けられた暖かいイカメシに変身して出て来ました。売店の牛タンも頼むとスライスしてくれます。売店とレストランで合わせて数種類の日本酒もあるし、飲兵衛にはなかなかのサービス。売店と言えば、ミネラルウォーターは、売店のはあんまりおいしくなかったので、苫小牧ならターミナルで「支笏湖の水」を仕入れるのが正解。あと、同じ品物なら、ターミナルの方が若干安いようです。
往路同様、ほとんど波のない航海で、たまにドーンと衝撃があるのは、流木にでもあたるのでしょうか。翌朝9時、定刻仙台港到着。ドック入りに伴う変則配船で、仙台港では、「いしかり」が普段は東日本フェリーの接岸する岸壁にいました。「きたかみ」は一旦苫小牧に戻ってから通常の配船に戻るため、名古屋まで乗船する人は、ここで「いしかり」に乗換えです。すぐに「いしかり」に引っ越せるのかと思っていたら、「きたかみ」に11時半までいても構わないという話で、ちょっと様子が変。いったん外に出て、「いしかり」のそばまで行ってみることにしました。
岸壁から「いしかり」の船首を覗き込むと、船首の丸い青い先端と岸壁の間はほんの数十センチしかありませんでした。どの港でも操船の微妙さ加減にはびっくりしますけれども、緩衝壁のないところにこの精度で付けるとは、何ともすごいものです。
見ていると、車がぞろぞろ降りて来ます。車誘導の係の人に尋ねると、前日の午後3時発で、仙台湾ワンナイトをして来たそうです。これでは、ほんとに11時半まで乗船できそうもありません。規格が合わないせいか、ボーディングブリッジを使っていないから、車の通路を徒歩乗船するのかなぁ、と思いながら、「きたかみ」に戻って11時半まで待機。この待っている時間は船旅ではなかったですねぇ。
11時半になって、今度は荷物ともどもフェリーターミナルへ。そこで部屋の割当てを受けたら、ご希望の陸側角部屋は臭いが残っているので、内側の部屋にしましたとのこと。内側と角部屋では、部屋のお風呂が展望風呂かどうかという大きな違いが・・・。構わないからと言って、角部屋にしてもらいました。船側が気遣った臭いとは、女性の香水の匂い。部屋に入ったときはちょっと気になりましたが、すぐに感じなくなりました。しかし、仙台ワンナイトでどんな人が乗っていたのかな?
話はちょっと戻って、ターミナルからの乗船はマイクロバスで車両甲板のエレベータ前まで徒歩客を運ぶ方法でした。バスが入って行ったトラック用車両甲板はすでにトレーラーなどが乗せられていて、異様な雰囲気。いつもボーディングブリッジを使う私たちにはちょっと新鮮体験です。エレベータはかなり満員で、荷物の少ない人は階段の方を上がったようです。エレベータを出ると、そこは車両甲板とは別世界の明るいエントランスホール。すごい落差にまた衝撃。
出航の時間を見計らって船尾のレストランに昼食に行きました。ここで、帰路分のワイン券を使用。狙いはIshikariと書かれたラベル。すでに船尾あたりにタグボートが1隻ついていて、タグでバック方向に少し引いてから(すぐ後ろに「きたかみ」がいます)、そのまま船尾を転回する方向に引いて出航です。三方向の視界で回ってゆく景色をみながらの食事は、「いしかり」ならではの、いかにも船の上という感じで、なかなか楽しいものでした。
夜のイベントは民謡歌手と津軽三味線、太鼓など5人のグループでしたが、あまりにも低レベルでタダでも聞きたくない代物。出演者には申し訳ありませんでしたが、途中退場してしまいました。津軽三味線だけなら、もう少し聞き応えあったかも知れませんが、1人で1時間を持たせる技量はなさそうでした。しかし、1日2時間労働(午後2時頃に喫茶の横でも演奏がある)で船に乗れるなんて、いい商売(笑)。
夜になって、陸側の部屋に固執した理由の1つを思い出しました。伊豆大島のすぐ南を通過するのを見ようと思っていたのに、往路ではすっかり忘れていたのでした。通過予想時刻は午前1時。これは無理かなぁと思っていたら、偶然にも目覚めて、月明かりの中、すでに大島が黒い影としてすぐ近くに。もっと大きい島かと思っていました。夏の往路なら、明け方、明るくなってから見えるかも知れません。
名古屋定刻9:20着。のんびりゆったりの4泊5日の船旅は終わりました。
(2001年2月14日初稿)
■「富良野」(きたかみ、いしかり乗船記):乗船日2001年6月14−20日
念願の6月の太平洋フェリー往復の旅を実現してきました。せっかくのベスト・シーズンなので北海道の旅も少し楽しみたいと、いつもの往復乗船パターンではなく、道内2泊付き、全部で6泊7日の旅になりました。ほんとにそんなに長く休めるのか、出かける直前まで分からない状態でしたので、天候にも恵まれ、旅行の終わった今でも夢だったような気がしています。
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14日(木) 20:00 名古屋FT(きたかみ)→ 船中泊
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15日(金) →17:00 仙台FT 20:00 → 船中泊
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16日(土) →10:45 苫小牧FT 11:47(中央バス) →
13:25 札幌BT 14:20(中央バス) →
16:48 富良野BT 富良野泊
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17日(日) 終日フリータイム 富良野泊
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18日(月) 10:00 富良野BT(中央バス)→
12:28 札幌BT 15:00(中央バス)→
16:38 苫小牧FT 19:00(いしかり)→ 船中泊
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19日(火) →09:20 仙台FT 12:20 → 船中泊
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20日(水) →09:20 名古屋FT
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※FT=フェリーターミナル BT=バスターミナル
まず、船の様子から。
◆陸側角部屋のスイート
太平洋フェリーにはメールで陸側角部屋を希望と伝えてあったのですが、予約時にスイートは往復ともすでに残1室程度と出遅れていたので、今回は真ん中になってしまうかな、と思いつつも乗船手続をすると、部屋番号は106。う−ん、これは確かに陸側角部屋だけど、Bデッキの狭い部屋ではないか・・・。真ん中でも仕方ないから、もし空いていたら、スイート4室のみのAデッキに変えてもらおうと思いつつ、名古屋フェリーターミナルの階段だらけの乗船通路を進みます。
ボーディングブリッジから船内に入ったところで、いつも通り客室クルーが笑顔で迎えてくださいます。パーサーは、初めて太平洋フェリーに乗ったときに船内案内などしてくださったKさんが戻って来られていました。ここで、船室のことをお願いすると、何と希望の104号は空いているではありませんか。あっさり変更OKになりました。メール対応した社員は自社船に乗ったことがなく、デッキプランだけで部屋番号を確保してくれたんでしょうか。
◆アットホームな「きたかみ」
「きたかみ」は2月の雪祭りの往復でも乗船したばかりのせいか、受付の女性から「**様、いつもご乗船ありがとうございます」と挨拶されてびっくり。さらに船室に落ち着いて、毎度のことながら固い枕を持って来て欲しいと電話すると「ただ今、ご用意しております。のちほどお持ちします。」という返事。立て続けに感激する対応で、気分よく船旅を始めることができました(余談ですが、「いしかり」の枕は2月利用時に持って来てもらったものがそのまま置いてあるようでした)。
帰路「いしかり」に乗ったので余計に感じるたのは、「きたかみ」の客室クルーの常に笑顔を絶やさない接客の気持ちよさです。レストランでも、手が空けば、「お茶はいかがですか」と声をかけてくださったり、雑談にも気軽に応じてくれたりと、暖かみがあります。
「いしかり」でも、お茶を持って来てくれたりするんですが、何か少し雰囲気が違うんですよね。もちろん、他社に比べれば接客態度の水準はダントツです。頼みごとにもしっかり対応してくれて、部屋のコーヒーが4袋では足りないのでもっと欲しいとお願いしたら、何と6袋も届けてくれましたし。
◆天候
せっかく陸側の部屋を取ったものの、名古屋−仙台間は往復ともに雨模様で、景色はほとんど見られませんでした。揺れ方も円を描くようにゆっくり上がって、ゆっくり落ちるという感じ。海面は白波が立っているほどでもなく、これがうねるというものかなぁと思いました。このゆりかご状態、うたた寝にはなかなか気持ちよく、ほとんど時間の経過を感じずに、往復の船中4泊は過ぎてしまいました。もったいない・・・
逆に、いつもは多少揺れる仙台−苫小牧間は、今回はまったく揺れることなく、北海道に近づくにつれて天気はよくなる、遠ざかるにつれて天気は悪くなる、と梅雨のない北海道を実感しました。
出発直前に北海道は0度まで冷え込む日があり、気温の方も気掛かりでした。船内でみた朝ワイドの北海道中継でレポーターが長袖カッターで震えていているし、寒そうと思いきや、北海道にいた3日間は一転して25度近くまであがり、空気が乾いているのでとっても爽やかで、北海道を楽しむには絶好の天候。青い空に白い雲がほんとに綺麗でした。
◆ブリッジ見学
残念ながら、雨・霧で視界がないために、ブリッジ見学は往復とも中止でした。そのかわり、往路の「きたかみ」は苫小牧到着前に、少しの時間だけ臨時のブリッジ見学がありました。
外の景色は船室から見るのと大差ないので、目的は、4月まで「きそ」に乗船していたKパーサーからドラマ船長シリーズの撮影秘話を聞き出すこと。が、撮影日は乗務していなかったそうで、目論見は外れてしまいました。唯一の収穫は、7月に「きたかみ」で同じシリーズのドラマ撮影があるという話で、名古屋まで下見のスタッフが乗っていたそうです。撮影は多分7/15仙台発名古屋行きで行われる模様。放映が楽しみです。
◆空調
これまで、冬の暖房時期ばかりの乗船で、船内のカラカラ空気には参っていました。今回、初めて冷房(および空調OFF)を体験して、とても快適でした。やっぱり旅行は良いシーズンが何でもいいんですよね。
◆食事100歳ペアサービスで、船内の朝食・昼食は食事券が支給されているので、往復6回、プラス夕食1回を利用しました。「きたかみ」は和食系の味付けがグッドです。「いしかり」は全体に名古屋味です。どちらもまずくはないですが、さすがに飽きました。
レストランで食べなかった夕食は、売店で買ったお土産品のイカメシや牛タン(コーヒースタンドに持って行くと、暖めたり、食べやすいようにカットしたりしてくれます)、コーヒースタンドのおにぎりや枝豆、そしてペアサービスのワインで済ませたり、仙台FTのラーメンだったり。
残念だったのは、2月にほかほかご飯で手作りしていた「きたかみ」のおにぎりが、「いしかり」と同じ既製品の焼きおにぎりに変わってしまっていたこと。メニューからサンドイッチが消えていたこと。代わりに単品でうどんや丼ものが入っていました。前回、食事についてアンケートを取っていた結果なのかも知れません。手作りおにぎりを絶賛しておけばよかったと後悔しても後の祭り。
◆仙台
仙台は停泊時間が3時間あるので、往路は多賀城市の料理屋、復路はFT近くのキリンビール工場に行く予定にしていましたが、雨模様だったのと、ちょっと面倒になって、どちらも取り止め。船室が気持ちいいと出るのがおっくうになりますね。冬のようにカラカラだと、潤しに行こうという気になるのかも知れません(^_-)
続いて、北海道内の移動と宿。
◆高速バス
苫小牧−富良野間の移動はかなり悩みました。6月30日以降なら、千歳発直行の「ふらのラベンダーエクスプレス」という便利な列車があるんですが、この時期、JRだと札幌と滝川の2回乗換です。レンタカーは、あいにくと車の運転が好きでない。ネットでいろいろ見ていたら、苫小牧FTから札幌直行で、富良野行きに乗り換えるのが一番楽そう、しかも安いです。結構人気のようで、途中、補助席まで人が座る場面もありました。
2名で往復乗車なら4回回数券が得ですけれども、苫小牧−札幌間は車内販売がありませんでした。苫小牧駅の営業所前で、運転手さんに降りて購入して来ていいか尋ねたらOKで、めでたくゲットです。同じバスの4名グループの人たち、正規運賃で4名分支払っているのを見て、ネットをしてればひとり200円得なのにと思った次第(笑)。不思議なことに、同じ会社なのに札幌−富良野は車内販売ありでした。
景色は、苫小牧−札幌間に軍配です。ほとんど落葉樹林で、ときどき開けて牧場があり、牛が見えたりしました。一方、札幌−富良野間、特に札幌−滝川間は石狩川に近いせいか、水田が多く、東北の景色とあまり変わりません。滝川−富良野間は空知川に沿って走り、自然な川筋の綺麗な景色が随所にありました。カヌーなど川遊びのできるスポットもあるようです。
◆コテージゆうゆう(富良野)
富良野の宿泊は、ペットと泊まれる宿を検索して「コテージゆうゆう」を予約。寝室までペットと入れる有り難い宿です。原則自炊ですが、レストランに行くにしても、買物に行くにしても車で送迎してくださるというのです。
コテージは本館とは別棟で、1階が、独立した玄関、キッチン、リビング?、バス、トイレ、2階が寝室(シングルベット2台、ダブルベッド1台)。どこもかしこも木造で、ちょっと木の香りがします。掃除が行き届いていて綺麗。キッチンは、調理器具、基本調味料など、ひととおり揃っており、飲み物の入った冷蔵庫もあります。テレビはちょっと余分かなぁ。
朝、「カッコウ、カッコウ」と声がするので、寝室にカッコウ目覚ましがあるのかと思ったら、何と本物のカッコウが窓の外で鳴いていました。本物を機械の声と間違えるなんて、悲しいですね。
インターネットの紹介ページは観光協会で出しているもので、まだインターネットはようやく接続できるようになったばかり、利用者の声は見たことがないと言うので、少し検索して出してあげたら、とても喜んでくださいました。ネット評判どおり、清潔でフレンドリーな対応のよい宿でした。
◆食材
BTからコテージに向かう途中で、スーパーに立ち寄り、お薦め品をアドバイスしていただいて、ラムのジンギスカン味付け1キロ1300円!、毛ガニ2匹980円! などを仕入れ、炭火のバーベキューを楽しみました。別にバーベキュー専用小屋がありますので、部屋が臭う心配はありません。
ご主人曰く、ラムは入荷があって幸運(同じに見えるラムでも品質に高低があるらしい)、解凍でない毛ガニがこの値段は当地でも安いとのこと。とても食べ切れず、毛ガニの残りはアスパラと一緒にバター炒めの超豪華朝食に、ラムは翌日、再度バーベキューに。多すぎるラムは余れば引取ると言ってくださったのですが、あまりにおいしかったので、結局たいらげてしまいました。
タレ漬けのラムは3日程で味が滲みすぎてまずくなってしまうそうです。値段が安いですから、通販も扱いずらいですね。でも、倍の値段になっても、家でバーベキューをする機会があるなら仕入れたいと思いました。
最後に観光の模様。
◆美瑛観光
美瑛の一日観光は、バス・JR・徒歩・タクシーの予定でしたけれども、宿のご主人がやっぱりレンタカーがお薦めというので、仕方ない運転するかぁ、という気持ちでレンタカーにして大正解でした。
最初に立ち寄ったラベンダー畑で有名な富田ファームは、ポピーが満開で綺麗でしたけれど、まぁ、普通の観光地の印象。ラベンダーは穂先がちょっと色づいた程度でした。満開になれば綺麗だろうと思いますが、香水やポプリにするには、咲き始めた頃に刈り取らないといけないそうで、見せる畑と収穫する畑は別かも知れません。
宿のご主人のお話で、富良野では一うね3000円くらいでラベンダーを刈る権利を買えるんだそうです。数日後にその販売があるというので、連れが予約してました。よい時期をみはからって、刈り取って干してドライフラワーにして送ってくださるそうです。そういう企画はネットで人気がありそうだと入れ知恵してきましたので、来年あたり、宿が独自にHPを作れるようになっていたら、インターネットで予約販売されるかも知れません(^_-)
美瑛では、観光バスの立ち寄らないスポットに印象的な景色があり、心おきなく堪能できました。特に綺麗だったのは、千代田の丘からの眺めと、マイルドセブンの丘で見た牧草ロールのある光景でした。牧草は、朝刈り取って、半日ごとに撹拌して、2日目の生乾き状態でロールにしたものは、ラップしてサイレージに、4日目の乾燥したのは干し草になるそうで、刈取り、撹拌、ロール、ラップとそれぞれに別の機械が必要とのこと。のどかに見える景色の裏側は大変そうです。
◆白樺ロード
美瑛から、白金温泉へ向かいました。完全な直線で10数キロ、白樺林の中を道が続いています。北海道は今が新緑の季節で、何とも言えず気持ちよいドライブ。ゆるやかな登りの終点が白金温泉で、ここから本格的に標高を稼ぐ道に入りますが、2車線の立派な道路で運転も気楽。木立が途切れたところで、突然眼下に新緑の原生林を見渡す場所に出たときの景色は圧巻でした。今回の旅で一番感動しました。
◆十勝岳
宿のご主人に教えていただいたとおりに、白金温泉から直接富良野に戻る道へ入ると、まだまだ登りの山道が続きます。途中、望岳台という標識があるので寄り道してみると、そこは十勝岳を正面に見るスポットになっていて、あたり一面噴石がごろごろした、ついさっきとはまるで正反対の光景。植生も高山帯のものに変わっていました。
噴煙を上げる十勝岳は火山性微動が頻発しており、いつ噴火してもおかしくない状況だそうで、昨年、洞爺湖を訪れて3ヶ月後に有珠山が噴火したことを思い出し、十勝岳が噴火したら、あの美しい美瑛、富良野も降灰で大きな被害が出るだろうと心痛む思いがしました。
美しい森の景色も、延々と遷移の初期段階の落葉樹林が続いているのはちょっと変だなぁと思っていた謎が、ここに来て解けました。本来なら針葉樹林のはずですが、火山でたびたび植生が破壊されるせいで、あの新緑が見られたわけです。
◆富良野平野
車を返す朝、早起きしたせいで、朝食後、まだ期限まで1時間あるので、迷わなければ25分ほどというドラマ「北の国から」のロケ現場に寄ることにしました。が、迷わなければがクセモノ。しっかり迷って、どうも違う道に入ってしまった様子。そのまま走って30分たったら戻ることにして進んで行くと、富良野平野を眼下に見下ろすスポットに出ました。美しい景色で心の洗濯をしてくれた平野の全貌を最後に見ることができて、これもまた感動。宿で1時間ゴロゴロしてなくてよかった。
◆レンタカー
今回、車を借りたレンタカー屋さんは地元の小さい店なんですが、オープンカーや外車などもあって、カーマニアには結構人気なのかも。車で知らない場所に行くのが苦手な私は、回転半径が小さいという理由で一番小さな車にしたら(何というのか知りませんがトヨタの新車種)、ラベンダー色の走行距離まだ1200キロくらいのピカピカの車でした。でも山道はやっぱりパワーが足りなかった(笑)。近隣と営業所の間の送迎も都会にはないサービス。最後はバスターミナルまで送っていただきました。
今度北海道に行くことがあって、雪のない季節だったら、苫小牧でレンタカーを借りて日高あたり日帰りドライブもいいなぁと思っています。もう道内2泊なんて時間贅沢はできそうもなく、多分、乗って来た船で帰るのがせいいっぱいの北海道半日観光になりそうですから。
◆札幌
帰路の札幌は約2時間半の滞在。まず、サッホロファクトリーで昼食です。ここは赤レンガの古い醸造所を利用したもので、天井の高いトンネルのような、穴倉のような、独特の雰囲気がグッドでした。ビールの方は2種類飲んでみましたけれども、近頃は地ビールを出すところも多く、ブルワリーのオリジナルと言われてもどうってことない、って感じ。アルコール度が低かったのか、わたしには清涼飲料水でした (^_^;;;
食後、大通り公園でバスの時間まで休憩。雪祭りのときとはうって変わって、緑と花にあふれ、公園は地元の人がたくさんくつろいでいました。ちょうどアカシアの花が終わる頃で、雪のように散る景色をみながら、北海道の最後の時間を過ごしました。
(2001年6月25日初稿)